TEAM UP
仲間が集えば
社会が変わる
ガイラルディアという花に聞き覚えのある人は少ないかも知れない。菊科に属し、華やかな赤やオレンジ、黄色の花びらが特徴的な多年草だ。耐寒性や耐暑性があり、丈夫で育てやすく、根付いたら水やりも肥料もほとんど不要という。そして群生してよく育つことからその花言葉は「協力」「団結」とされている。
「人はみな一人では生きてゆけないものだから」。幼き頃に見た青春ドラマの主題歌のワンフレーズを思い出しつつ、イマこそそれを強く実感することもないのではないかと感じた。これまで数多くの歌でも言われてきたことだが、孤独はその生きる希望を奪ってしまうのかもしれない。誰かと繋がっている感覚、それさえあれば頑張れることも多いのではなかろうか。
人々の繋がりの基礎となる家族において、振り返れば日本でも三世代が同居する大家族形態は減少し、すでに1960年代には夫婦とその未婚の子供のみで構成される「核家族」の構成率が急上昇、流行語にさえなった。一方、65歳以上の独居世帯も、2019年度の厚生労働省の国民生活基礎調査では全世帯数の3割弱に達し、この別居の老親の介護、あるいは夫婦共働きの増加も相まって、小中学生前後の子供たちが下校後に家で一人きりになってしまう、また食事も独りでとる孤食の問題なども浮上している。独居老人においては孤独死といった現象も社会問題化したのは記憶に新しいだろう。そしてより大きなレイヤーである国単位で見てみても、やはりその繋がりは薄れていると言わざるを得ない。2019年からのコロナ禍では各国間、あるいは各国内においても分断の要素はさまざま多かった。その影響か、各所での行動や判断が、連携あるいは調和といったプロセスが置き去りにされ、それぞれになされることも多かったのではなかろうか。たとえば各都道府県の知事たちもその覚悟を決め、所轄の住民らのことを第一に考え、そのコミュニティを守り存続させるために動いた。それはときに利己的に見える判断もあっただろう。そしてそれは行政側のみならず、コミュニティに属する個々の人々においても同様だった。知事たちの言動に耳を傾け、協力し団結し、みんなでより良き方向を目指そうと努めたのだから責めようもない。私たちは今一度、コロナ禍前のより柔軟性、順応性をもって他者とのコミュニケーションに踏み出さねば、この閉じた世界に生き続けることになるだろう。
もちろん、コロナ禍を経た後のオンライン環境の急激な変化など、新たな環境下でのそれぞれの苦悩もある。ある調査によると、「コロナ禍を経て自身のコミュニケーション力が低下した」と感じているのは全体の約2割、10代女性の3人に一人を数え、中でも「雑談・会話力」の低下が25%、これまた10代女性に限っては38%に及ぶという結果が出ている。感染リスクがなかろうとも、すでにマスク無しの会話に抵抗がある人は過半数に及ぶという。友だちを、仲間をつくれない、ひいては出会いがないという状況はこういった環境によるものも大きいのかも知れない。ただ、あの全員が経験した逼迫した状況で人々を奮い立たせるのは、カネでもモノでもなく、人の言葉や行動なのだ。そして、それを支える協力・団結がそこにはある。
人はアイデンティティを出身地や生活圏と紐付けて理解していくし、そのため自身の所属に対する義務や責任にも積極的になっていく。帰属意識が、自身の存在の拠り所ともなるのだ。何かしらのコミュニティは人の存在を支える重要な場所だ。日本中が熱狂したWBC(World Baseball Classic=ワールドベースボールクラシック)優勝のドラマに垣間見るような、選手団と周辺ファンたちの団結・協力などは私たちの目に等しく麗しく映り、心の底では誰もがみなこういった協働、共創といった行動に憧れているのも間違いないだろう。実際、企業のキャンペーン提案の際、この例を引き合いに出され、こういった繋がりを生み出せる企画にチャレンジしたいと言われたこともある。選手とファン、ひいてはメディアに至るまでが良い関係性を維持する様は、企業側にも魅力的なのだろう。ただし、そうあるためには何が大切か、どうすれば「皆が協力するか」「皆が団結できるか」をしっかり考えねばならない。
2013年、ブラジルのサッカーチーム「スポルチ・レシフェ」が実施した「IMMORTAL FANS」の事例を紹介しよう。かつて日本代表監督を務めたブラジル代表のファルカンも所属したことがあるスポルチ・レシフェは、ブラジル代表クラスの選手も多く所属し、多くの熱狂的なファンを持つことで知られるクラブチームだ。日本で言えば、浦和レッヅのファンにイメージが近いだろうか。
IMMORTAL FANS
熱狂的なファン層は持てども、とはいえそこまでの資金力があるわけでもない同チーム。新たなコミュニケーション施策を展開しようとしても、高コストで限られたメディア出稿スペースしかないため、広告のやり口は限られていた。このような中、ファンとのさらなる繋がりを深め、その支援を得るにはどうすればいいのかを考え、編み出したのがこのキャンペーンだ。それは熱狂的なファンとの間に生涯にわたるコミットメントを生み出し、これまで寄付をしてこなかった人々にもクラブへの寄付を促す正当な理由を提供することだった。
そこでソーシャルメディアのキャンペーンとして、「IMMORTAL FANS=不死のファンたち」が展開された。そのアイデアは、「自分は死後ドナーとなり、臓器提供を通じて他のサポーターの身体の一部となり、死してなおこのクラブを応援し続ける」という宣言つきのクラブカードを発行するというシンプルなもの。もちろん日本をはじめ、「臓器提供意思表示カード」は存在するが、そこに「死後もなおスポルチ・レシフェのファンの一員である」というお墨付きを与え、登録へのモチベーションを強化したわけだ。このキャンペーンは多くのファンの実行動を促し、5万1000枚を超える臓器提供カードが発行され、併せてドナーの登録者が1年で54%増加するという素晴らしい成果をあげたのだ。また、この活動報告映像ではファンを含む、臓器提供によって命を救われた人々が、それぞれ熱いメッセージを発信、まさにクラブとファンの生涯にわたるコミットメントを生みだしている。
本キャンペーンはとかく「臓器提供ドナー登録推進キャンペーン」と受け取られがちだが、その目的はファン層のエンゲージメントを高め、クラブカード発行を通じて寄付を募ることにある。臓器提供という社会貢献活動にも連携しながら、「不死のファン」という打ち出し方で展開されたことにより、その拡がりが格段に大きくなった。まさにファン層の思考回路に関する洞察が光る事例と言えよう。
これは熱狂的なサッカーファンが多いブラジルならではのキャンペーンと言えば、それまでかもしれない。しかし、一つのサッカークラブファンという、ものによってはかなりの人数を擁するコミュニティに所属する人々に対して、「何を言えば協力するか」「団結できるか」の洞察から生まれたメッセージは、戦略の根幹でもある。いかにテクノロジーが進歩しようとも、人を動かすトリガーを見つけることが企画の基本であり、ここがブレなければ、どの時代、どのコミュニティにおいても充分通用するアイデアと言えるだろう。
続いて紹介するのはアクションの面白さが多くの人々の参加・協力を取り付けた事例である。「IMMORTAL FANS」から1年後、2014年に実施された皆さんもよくご存じの「THE ICE BUCKET CHALLENGE」だ。
THE ICE BUCKET CHALLENGE
「THE ICE BUCKET CHALLENGE(アイスバケツチャレンジ)」は、筋萎縮性側索硬化症(ALS)の研究資金を支援するために、2014年の夏に始まったインターネット史上最大のムーブメントのひとつである。このキャンペーンに参加する人々は、バケツ一杯の氷水を頭からかぶるか、または100ドルをアメリカALS協会に寄付をするかを選択する。もちろん、どちらをやっても良い。そしてこの様子を撮影した動画をフェイスブックに投稿し、次にチャレンジしてもらいたい人物を2~3人選び、タグ付けして指名するというものだ。
実はこの慈善運動のための資金調達方法として、氷水をかぶるという運動は以前より行われており、そのルーツについては複数の説がある。そのひとつが2013年から2014年の冬の間、アメリカのソーシャルメディア上で話題となった「コールド・ウォーター・チャレンジ」と呼ばれる運動だ。これは冷たい水に飛び込むか、がん研究のための寄付をするかのどちらかを選ぶという指示が含まれており、まさに同様のスキームと言える。アイスバケツチャレンジでは以前から話題となっていた活動の再構築を図り、全盛期を迎えていたフェイスブックのソーシャルグラフと友だちタグ付け機能を活用して、一人からより多くの人へと広がるように設計し直したものなのである。
2014年当時、カンヌライオンズに現在の「ソーシャル&インフルエンサー」というカテゴリがあれば、間違いなく受賞していただろう好事例と言える。プラットフォームとして活用されたフェイスブック創業者のマーク・ザッカーバーグ、その後彼から指名されたビル・ゲイツやケネディ一家、果ては当時のアメリカ大統領であったバラク・オバマまで、多くの影響力ある人々がALSへの寄付を募るため、このキャンペーンに参加した。さすがにオバマ大統領は氷水をかぶらなかったが。そして、この拡散の仕組みは国を超えた拡がりを見せ、世界中に前代未聞の熱狂を巻き起こしたのだ。あらゆる年齢層、あらゆる背景を持つ人々がこのムーブメントに参加し、またALSにも注目した。世界159ヵ国で4億4000万人が参加し、1700万本以上の動画が作られ、700億回の動画再生をカウントしたが、スーパーボウルとアカデミー賞を合わせてもこの数字には届かないほどであった。
ちなみに日本でもソフトバンクの孫正義氏をはじめ多くの著名人がこのキャンペーンには参加したが、中にはネズミ講だ、不幸の手紙だなどの批判的な意見もチラホラあった。もちろんアメリカ発祥の寄付文化ムーブメントを日本人がすんなり受け入れられないのはよく分かるが、それを声高に意見する態度さえもすでに見越されているのだろう。要はいかに人々の関心に切り込むかが重要であり、文化的背景の違いはあれど、賛同するものはするわけである。
こういった議論を起こし、対話の中で理解度を高めていく欧米カルチャーは、PRにおける合意形成プロセスに近いと言えるだろう。とはいえ、このアイスバケツチャレンジで2億2000万ドルというALS協会の年間予算を超える寄付金を集め、そこから実際に新薬まで開発されており、1つのアクションを通じて多くの人が協力・団結し、実質的な成果まで出した素晴らしい事例なのだ。
これら2つの事例以降、ソーシャルメディアの活用やソーシャルグッド文脈の包含がコミュニケーション設計に当たりまえに組み込まれるようになり、その後さまざまな新しい協力・団結のカタチが生まれていくこととなった。特に興味深い発展を果たしているのが、誰とどう協力していくかという視点。その転換点でもある事例が、スウェーデン観光局の「The Swedish Number」だ。
The Swedish Number
スウェーデンは250 年前に世界で初めて検閲を廃止し、言論の自由を確立した国。これを記念してスウェーデン政府観光局は、自国民がスウェーデンを自由に語り、アピールする自国PRキャンペーンを実施する。まずは国を代表する“スウェーデンさんの電話番号”を作り、観光情報の問い合わせ窓口として広く紹介。ここに世界中から入る問い合わせに対し、スウェーデン国民が国の代表として応答し、思い思いに自国の良いところを語るというスキームだ。スウェーデンは、この施策において国民全員に参加協力を求めたのだ。
世界初の“国直通番号”にかかってきた電話は、事前に登録された各“スウェーデン大使”(つまり国民)にランダムに転送される。そして、利用者は電話に出た各“スウェーデン大使”から、気候のこと、風土のこと、食や生活のこと、スポーツやイベント情報など、スウェーデンにまつわることを自由に聞くことができるのだ。
この“スウェーデン大使”への参加は、自国に住むスウェーデン人であれば誰でも可能。大使になりたい人は、専用ウェブサイトに自分の電話番号を登録する他に事前調査はなく、もちろん模範解答などもない。誰でも国の代表になれるし、また自身の意見を、検閲などの制限なく発言できるわけだ。こんな気持ちいいことはないだろう。この大使にはおよそ2万人を越える国民が登録し、178ヵ国から通話があった。 最長の通話時間はなんと3時間42分、よくもまあ見知らぬ人とここまで喋ることがあるものだと感心するが。
2万人を数えた“スウェーデン大使”は、薬剤師からウェイター、農業従事者、トラックの運転手など職業もバラバラ。その目線や価値観も当然バラバラで、お勧めの観光場所や食事なども百人百様だ。また寄せられた質問も、オーロラのことであったり、ミートボールのことであったり、政治のことであったりと様々。こんなに混沌とした観光ガイドだが、利用者はこの仕組みをとても楽しんで、人にも利用を勧めたそうだ。この国民の協力により、お決まりの観光情報ではない、リアルなスウェーデンが語られ、スウェーデンの魅力を国内外にたっぷりとユニークに伝えることに成功した。スウェーデンのことを知りたければ、現地の人に聞くのが一番。現地の人が、包み隠さずありのままのスウェーデンを生の声で語るという、前代未聞のちょっと驚きの仕掛けとなったのだ。またここには、電話に出る相手が誰になるかわからないという偶発性、要件のみで終わらない人間同士のやりとりの暖かみなどがあり、デジタル化で効率性を重んじるAIチャットなどとは異なり、逆張り的な新鮮さもウケたようだ。
ここでもう一つ、国民を巻き込み、その協力を得て大成功した事例を紹介しよう。
2023年のOREO INDIAによる、「#BringBack2011」である。コロナ禍以降、日本でも企業同士のコラボレーションを見かけるようになってきているが、この事例はスポーツ大会とコラボして国民を団結させ、そこから大きな熱狂を生み出したというものだ。
#BringBack2011
モンデリーズ傘下のナビスコが発売するクッキー「OREO」がインドで発売されたのは2011年。競合各社の製品は外国籍のオレオに比べて数十年の歴史があり、それらに対する記憶はインドの文化的背景、行事、人々の記憶に染み込んでいた。今回のOREOのキャンペーンは、アウェーとなるインドの中でいかにOREOの確固たる居場所を見つけ、低迷する売上を増やすことが目的だった。
そこで計画したのが、インドで最も人気のあるスポーツ、クリケットを通じてその関係性を深めること。インドにおけるクリケットは、日本で言えば冒頭で触れた野球やブラジルのサッカーのような扱いであり、いわば国民的スポーツだ。クリケットはインドではもはや宗教であり、クリケットの10億人の世界的ファンの90%がインド人でもある。そんなクリケットのワールドカップが、2023年度は自国で開催されることとなる。しかしインドが最後にワールドカップで優勝を果たしたのは2011年で、その憧れの状況からはだいぶ年月が経っていた。そして、それはOREOがインドで発売されたのと同じ年という偶然。そこでオレオは、2011年当時の輝かしい栄光を共に復活させようと、国民にメッセージをする。それが2011年に立ち戻ろうという、「#bringback2011」キャンペーンである。
ここで特筆したいのは、洞察の鋭さからのアウトプットの妙である。実はインド人は迷信深く、クリケットにおいても自身のルーティンを大切にしているという。ある男性はインドが勝つために毎シーズン、最初の試合を見ないようにしていると言う。また、試合の日には常に黄色い服を着ることを自分に義務づけている男性もいる。野球やサッカーのファンでもよく見られる、いわゆるジンクスというやつだ。
この迷信深いクリケットファンに対するメッセージ発信において、OREOは2011年優勝当時のキャプテンであったM.S.ドーニ氏を招聘した記者発表会を実施、2011年のワールドカップの勝利を再現しようと呼びかけた。ドーニ氏は当時を彷彿とさせる特徴ある髪型とユニフォームでこのステージに登壇し、「インドがクリケットワールドカップで優勝したのは2011年。OREOがインドで発売されたのも2011年」と何度も繰り返し発言し、そのジンクスを強調した。最後には発表会に参加した記者にも話を振り、「繋がりました?」と聞きながら、当時のパッケージを再現したOREO商品を発表したのだ。優勝当時のチームのキャプテンという全国民が最も信頼する人物を起用して発言させ、その人物がOREOに絡ませながら「当時を再現しよう」と連呼することで、ファンやメディアもすっかりその気になってしまうのだ。
この記者発表会は24時間以内に600万ビュー以上を記録。それ以外にインフルエンサーを起用し、2011年当時の出来事をソーシャルメディアに投稿させたり、ドーニ氏も当時の髪型のままで映像を公開するなど、以降のソーシャルメディア上の拡散に繋げる設計も抜かりがない。そしてこのお祭り騒ぎに積極参加しようとする人々が、これに続く。たとえば2011年当時に流行したボリウッド映画の再上映、ドーニ氏の髪型の真似する面々、当時のユニフォームやレシピなどが「#bringback2011」のハッシュタグとともに投稿された。また、インドで最も歴史があり、最大の新聞である「タイムズ・オブ・インディア」も2011年当時の表紙で新聞を刊行するなど、クリケットで勝利するために国をあげてのお祭り騒ぎに発展する。
成果としてOREOの売り上げは22%増加し、四半期の利益目標を12%上回るなど、業績にもしっかりとリターンを得ている。このような数字的な成果はもちろんだが、インドにおいて後発である外国籍ブランドのOREOがその国の文化的背景を理解し、その投げ掛けにインド全体が共感し、行動を共にした。そのことは、OREOがインド社会に真に溶け込んだ瞬間でもあり、ブランドとしても意義のある事例だったと言えるだろう。
ファンや国民を巻き込み、協力・団結するストーリーで大きな成果を得たこれらの事例だが、近年はこういった組み合わせの妙、あるいは得意領域を分担するチーミングに注目が集まる。それが「コレクティブ・インパクト」という考え方だ。
それは企業や生活者、行政やNPOといったプレーヤーがそれぞれの立場を超え、さまざまな社会課題の解決に向けて協働していくこと。集合的(Collective)なインパクト(社会的成果・アウトカム)を実現するための取り組みとして、2011年に米国のコンサルティング会社FSGのJohn Kania氏とMark Kramer氏による論文で提唱された。
2011年という年はOREOの明るい記憶とは反対に、日本では奇しくも東日本大震災が発生した年である。それまでも数多くのNPO法人は存在したものの、この未曾有の災害に対し、小規模な団体では太刀打ちできないという無力感も現場では聞かれた。その反省を経て、より大きな実行力を発揮できるよう、その後、大型のNPO法人が相次いで設立された。それでもなお、単体組織でやれることは限定的であり、各団体がより大きな視点での課題解決を目指し、各所とのコラボを模索し続けていたのは間違いない。
中でも組み先として期待されたのが、資金や人材を背景とした実行力を持つ企業たちだ。ソーシャルグッドな活動をする企業も徐々に社会の共感を得て、その存在感を示し始めたタイミングもあり、企業とNPOが協働にチャレンジする場面も増えた。しかし、企業が求めがちなビジネス的な効率性、あるいは具体的なビジネスリターンといった成果指標が、すべての社会課題解決のための活動にそぐうわけもなく、そんな違和感からせっかくの協働活動が短期に終わることも多い。またこれを経験した一部のNPO、企業で、このような枠組みを敬遠する兆候が出てきてしまったのも仕方ないことだろう。ただそれでも複数の参加者を含むチーミングの可能性についての期待とトライアルは続いており、実は経団連の調査でも「NPO/NGOと協業している」と答えた企業は8割を超えるなど、自社を超えた仲間づくりを模索している状況でもあるのだ。
ここでさらなるチーミングのおもしろさを紹介したい。それがアルゼンチン国内の複数のNGO/NPOが初めて連携したキャンペーン「The Postponed Day」だ。なぜいままでこうした連携ができなかったのだろうと思うのだが、やはりこれまでの価値観や前例に縛られてきたことが大きいのだろう。ニューノーマルの浸透に際して、そういった制約を乗り越えてのチーミングにチャレンジした事例が増えてきているのも、その社会的トレンドを示しているのだと感じる。
The Postponed Day
毎年10月19日は、世界乳がんデー。この日は全世界が検診を啓発する日であり、この話題がその日のメディアのアジェンダとなる。まさに乳がんに関して24時間スポットライトがあたる日だ。こうした記念日をきっかけとした啓発活動は、世界中でなされているものの、たった一日の啓発活動で現状に大きな影響を与えることはなかなか難しい。アルゼンチンにおいても同様で、多くの⼥性が年に⼀度の乳がん検診を先延ばし(Postpone)していた。この状況を打破するために、2022年10⽉、がん啓発で最も権威のあるアルゼンチンのNGO「LALCEC」が音頭を取り、ある施策を実行に移す。それは世界乳がんデー自体を延期する(Postpone)という異例の宣言である。
1年に1日だけの啓発では明らかに不十分であるとあると考えたLALCECは、アルゼンチン全土の主要な30のNGOに協力を要請し、このキャンペーンで協働することとした。この要請に各団体も賛同、30団体の合同チームは、乳がんデーのために各自が予定していた通常のキャンペーンを取りやめ、共同プレスリリースの発信、リリースと同じ内容の投稿をソーシャルメディアで行った。すなわち乳がんデーの翌日への先送り宣言である。来る日も来る日もこれら団体は、その記念日を延期していく。その期間はなんと14日間。これは同時に検診を受けようと思う気持ちを単日でなく、2週間ほどの期間に延長したということでもある。そのくらいあれば、きっと乳がん検査を受けるタイミングが見つけられるはずだと。これにさらにメディアも賛同し、その連日延期のニュースを報道していく。
当初は、「こんな大事なことを延期するなんて、いったいどういうことだ?」という批判の声も挙がった。しかしこの反対意見も想定内だ。こういった議論が起こる度に、その意味合いが語られ、関心を寄せた人々に届くわけだ。こうして生まれた違和感から「今年の乳がんデーはなにか違う」と乳がん検診に関する生活者の関心を高め、多くの人が乳がん検診と向き合うことになる。そしてこの延期された2週間でこの情報は例年と比較して270%と多くの人々にリーチし、国内の受診者も前年の3倍を記録することとなった。今までも同じテーマで、しかし個別に活動していたNGOたちが協力・団結し、課題に対して本質的な解決を図っていくことがもたらした大きな成果であり、これまでの慣習に囚われず、一度行動を見直し、新たな協働に踏み切った各団体の英断が活きた事例である。
同じ目標を持つ非営利団体でさえ、協働するのはなかなか難しいのは見ての通りだ。そこにはいろいろ理由があろうが、目標は同じでもその細かいニュアンスやそのやり方の細かい不一致がその協働に水を差すことも多い。このようなときに重要なのは、自分たちが「どのような社会課題に、どのような形で関わっていくべきなのか」に再度向き合い、その軸足を固めること。そしてその起点とゴールはしっかり定めども、計画達成への道筋には少しばかりの柔軟性を持つことではなかろうか。自分に近い存在といえど、その言動がまったく一致することはなかろう。しかし、家族であれ友達であれ、根本を理解すれば些細なことは容認できるはずだ。それが長続きする仲間づくりというものではなかろうか。
また一方で、その目標へのコミットメントが強すぎるのも問題だ。そこにもある種の緩やかさがあっていい。こういった社会課題に取り組もうとするとき、多くの人は「そこまでの社会課題を自身が背負いきれるのか」という畏怖の念に囚われがちだ。チャレンジしたい気持ちはあれど、結果を出せなければ逆に身の程知らずとバッシングされるのではないか。そのような恐怖が一歩踏み出そうとするときに湧き上がり、逡巡を繰り返してしまうこともままあるだろう。そんなネガティブな気持ちを払拭してくれるのも、先の「コレクティブ・インパクト」の良きところである。そこに見いだせる啓示は、まずはやれるところを見定めて、無理ない範囲で自身の身の丈に合わせて取り組んでいけばそれでいいということ。やがてはそれが種となり、他者の活動とも緩やかにつながり、課題解決への道筋が自ずと見えてくるはずなのだ。
さらに興味深いのは、そのチーミングプロセスだ。協働作業というと、まずはそれぞれの役割を担える仲間を揃えてから、となりがちだが、コレクティブ・インパクトを実践する人々は、まずは想いで集まるところから始まる。想いがあれば、なにかしらそれぞれの役割は行動するうちに定まってくるという。まずは飛び込む、そこに仲間が集う、それぞれが役割分担して最強のチームができるという流れに身を任せる形なのだが、コレクティブインパクトに携わったリーダーたちの経験値として、実はこれが一番効率的にゴールに辿り着けるという。「協力」「団結」にも様々な事情もあるだろうが、まずは大義の下に集まり、同じく見つめるゴールを目指すというスタンスさえ共有できれば、もはや想いの達成は見えたに等しいはずだ。
これまで様々な事例を通じて「協力」「団結」の事例を見てきたが、近年、特にコロナ禍以降はこの視点が非常に重要になってきていることを感じる。コミュニティにおいてはそれぞれが置かれている状況下で、お互いの存在を知り、お互いの顔を見ながら暮らすなど、環境を共有しながら関係性を強化し、繋がりを維持していくことが重要であり、またそこから新たな物語が生まれる。これは何も人間同士ということだけでなく、その近くに存在する企業などの組織体も然りだ。「IMMORTAL FANS」や「The Postponed Day」のように、近くの人や団体との繋がりや、お互いの関係性が理解できてこその協力や団結であり、常にお互いを認識、理解する接点を開放しておくことが必要であろう。
さらに、情報が思うように対象に届かない時代においては、あえて小さいコミュニティにターゲットを絞ってアプローチし、しかし小さいが故の熱量をてこにしながら情報拡散を目指すやり方も当たり前になってくるだろう。強固な関係性を有する特定コミュニティとの相互連携を築けるのであれば、それは企業側にもメリットとなるはずだ。
HONESTY
HONESTY
HONESTY
HONESTY
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NEXT CHAPTER
偽りやごまかしが蔓延する
世の中で光る「正直」さ