UNEXPECTED MEETING
偶然の中から生まれる
‘想定外’を楽しむ。
ゼラニウムの学名「Pelargonium(ペラルゴニウム)」は、ギリシア語の「pelargo(コウノトリ)」を語源としており、花を付けた後の種子に突起があり、それがコウノトリのくちばしに似ていることに由来するという。中でも黄色いゼラニウムの花言葉は「予期せぬ出会い」であり、「コウノトリが赤ちゃんを運んでくる」というわれわれがよく知る言い伝えにも、その偶然もたらされる出会い的要素が絡んでいるような気がしないでもない。またゼラニウムはその上品な見た目とは裏腹に、実は虫が嫌うような香りを放つため、品種によっては虫よけ効果も期待されているとか。見た目と香りの意外な作用とのギャップも、これまた不思議な組み合わせということで、ある種の「意外性」を醸す存在と言えるのかもしれない。
「出会い」においてもよくわれわれは「偶然」と「必然」というえり分けをする。望み、計画し、最終的に出会う必然と、特に意図的ではなく、たまたま出くわす偶然の出会い。そもそも偶然なんてものはなく、その他の要因がなんだかんだで複雑に絡み合い必然としての結果となるという意見もチラホラ。ただそういう予期せぬ出会いというものに期待する自分を否定はできない。人は時に計算を超えた事象にトキメクものなのではないか。ビジネスでも使われる同様の言葉に「セレンディピティ」なる言葉があるのはご承知のとおりで、偶然が重なることで、そもそも自身が探していたモノとは異なる、別の価値あるものを発見するという現象のこと。意味合いから見ても良き方向へ導かれている経験談が多い。ちなみに「セレンディピティ」という言葉は造語で、イギリスの政治家にして小説家であるホレス・ウォルポールが1754年に生み出したものとして知られている。彼が子供のときに読んだ『セレンディップの3人の王子 (The Three Princes of Serendip)』という童話にちなんだもので、セレンディップ(セイロン島、現在のスリランカ)の王子たちが旅の途中、いつも意外な出来事と遭遇しつつ、しかし彼らの聡明さを掛け合わせることで、もともと探していなかった何か新しい知見を発見する冒険譚(たん)だ。概要を聞くだけでもワクワクする、そしてその後の幸せに満ちたストーリーが想像できて気持ちが温まる。
偶然性への期待は、もしかすると昨今の固定化した生活様式への反発なのかもしれない。なにが正しく、なにが過ちなのかといった旧来の固定観念に対する疑問がが生まれてくる中、あらゆる慣習がクローズドな環境の中でさらに威力を増し、その悪しき慣習の打破へ向けた勢い、あるいは意志がそがれてしまっていることもあっただろう。しかしそのクローズドなコミュニティー環境にあっても、コロナ禍を経て、逆に各所での「ニューノーマル」への移行が著しくなっているのは「窮鼠(きゅうそ)猫をかむ」的な切羽詰まった環境を背景にしたパラダイムシフトなのだろうか。「親ガチャ」ではないが、生まれ落ちた環境で全てが決まってしまうといった妙な諦めがまん延する一方で、かつて就職先として憧れの企業であったエスタブリッシュメントを求めることなく、ベンチャーやスタートアップ企業を始めるなど、チャレンジすることにまるでちゅうちょしない、「なせば成る」的な前向き姿勢の若者たちが目立って増えてきているのも混沌(こんとん)とした時代のもう一つの象徴と言えるだろう。
不安定な未知の環境に向かってチャレンジする若者が増えてきたとはいえ、この人々を誘導する「レール」の存在はいまだ健在だ。昔のドラマでは「他人の敷いたレールの上を歩くのか?」という、世の中に反発するセリフをよく聞いたものだが、実は現代でも違う意味で敷かれたレールの上をグルグル回っている現象が存在するように感じる。それが「フィルターバブル」や「エコーチェンバー」というやつだ。これらは膨大なデータとアルゴリズムの上に意図的に生み出されており、生活者の視野を極めて狭くしている。YouTube視聴やオンラインショッピングなど、ネットサーフィンをやめられず、ダラダラと時間を費やしてしまうのも、そういった関心を途切れさせないためのある種の中毒症状を引き起こしているからこそで、これに自身で気付かないといわゆる無限ループにはまってしまうこととなる。さらにこのソーシャルメディアを通じて泡に包まれたように自分が見たい情報だけしか見なくなる「フィルターバブル」や、繰り返し自分の価値観、関心と似通った情報ばかりに囲まれ考え方がどんどん偏っていく「エコーチェンバー」といった状況がデマやフェイクニュースを増長し、人々の意見や物の見方を分断させている。これらの背景には、「アテンションエコノミー(注目経済圏)」があり、多くの人が注目しクリックすることで収益を得る広告モデルがその引き金となっている。アテンションを稼げばそれでよしという考え方で、実際の情報が「正しい」かどうかよりも、情報が「楽しい」、あるいは「心地よい」かどうかを第一義に生活者にコンテンツを消費させることが追い求められていることがこのあしき環境を増長している。
そんなアルゴリズムの弊害や、自分の行動のワンパターン化に気付かせてくれる、「予期しない出会い」をもたらした事例を幾つか見ていきたい。まず一つ目は「HetzJaeger. Antifascist Algorithms.」だ。
HetzJaeger. Antifascist Algorithms.


世界的に、特にドイツでは再びファシズムが台頭してきている。その究極の入り口とも思えるのが音楽。実はSpotifyやYouTubeのようなストリーミング・プラットフォームでは、何千にも及ぶファシスト思想の曲が提供されており、さらに悪いことにそのアルゴリズムによってそれらの楽曲は広くリコメンドされ、また同様の楽曲に触れる確率がとても高くなっているという。まさに先に述べた音楽に関しての「フィルターバブル」であり、「エコーチェンバー」が起きているわけだ。しかし、音楽を楽しむという行為自体は共感されこそすれ、あえてそれを否定するということは多くない。よってこれらの問題に気付く人もほぼいない状況で放置されているのだ。そしてストリーミング・プラットフォーム側もそのような状況がまん延していると知っていながら、これらの曲やバンドの提供を止めることはなく、ファシズムの拡散を防ぐ効果的措置はなにもとられていなかった。そこであらゆる形態のファシズムと戦う組織「Laut gegen Nazis」はこの状況に変化をもたらし、サービス提供側のプラットフォームの意識変革を起こさせるため行動を起こした。
やり方は巧妙だ。その悪循環を生み出しているアルゴリズムを逆手に取ること。楽曲リコメンドのアルゴリズムの仕組みを解析し、アルゴリズムをだますことで対抗措置をとることとした。いわば「トロイの木馬」作戦。まずは架空のバンド、「ヘッツイェーガー」というナチス思想に浸ったに見える存在を生み出し、デビュー感をあおり、そのティーザーソングをアルゴリズムのパラメータに合わせる。すなわち、これまでファシスト思想の曲に傾倒していたユーザーと一気に接触を図り、あっという間に絶大な支持を獲得したのだ。しかし、このバンドはダミーだ。デビュー予告の1カ月後、ヒトラーの権力掌握記念日にこのアルゴリズムは自動的にドイツのあらゆるファシストシーンに「真の目的を秘めた」このバンドの全楽曲、すなわち「反ファシズムを訴える楽曲」を披露していったわけだ。曲の内容はファシズムへの世論の反発を伝え、ストリーミング・プラットフォームへの規制強化を要求する歌詞であり、社会の大きな反響を生み出した。この世論の大きなうねりにさらされたストリーミング・プラットフォーム側は、やむなくこれまで扱ってきたファシスト思想の楽曲やそれを演奏するバンド、約700以上を対象楽曲から削除せざるを得なくなった。
もちろんこの背景には入念な準備がされている。そもそもこのようなサービス業者が独自に持つアルゴリズムは当然のことながら秘密にされているため、その解析も困難だ。そこで「Chartmetric」などの音楽ストリーミングデータ分析ツールを使い、最も人気のあるファシスト・ロック楽曲やそのファンベース、最も影響力ある楽曲のプレイリストなどを特定するという地道な取り組みを続けていった。さらにストリーミングサービスを配信するレコード会社の専門家や、ドイツのファシストシーンの専門家をチームに組み入れ、YouTubeとTelegramをスクリーニングすることで、トロイの木馬バンドで用意する楽曲をリコメンドに最適化する方法を把握した。そしてそのデータを基に、実際に流布させる作品を反ファシズムのミュージシャンたちが創り上げたのだから、アルゴリズムの攻略は間違いなかった。仕上がったファシスト・ロックソングの歌詞は、そのシーンで最も頻繁に使われる流行語、言い回し、構文を使用し、Spotify、SoundCloud、Deezer、Amazon、Apple、YouTubeの各プラットフォームで配信された。
並行してソーシャルメディアの専門家がTelegram、Instagramの主要グループに潜入、ファシストグループに紛れ込み、この楽曲の評価をし、「いいね!」を獲得していったという。まさに各領域の専門家を巻き込み、適切な役割分担で壁を突破する見事な作戦だったと言えよう。このような「一発必中」の作戦には、入念な準備と、幾重もの保険対策が絶対的に必要なはずで、まさに入念な準備により成し遂げられた作戦と言える。最終的にこのトピックの認知度は500%上昇、20万人の規制への支持者が集まりプラットフォーム上の規制強化に関する請願書もたちまち完成し、先の成果が得られたわけだ。
アルゴリズムを攻略して反転攻勢の武器とするというアイデアは思いつけど、それを可能とする下準備やテクノロジーのスキル・ノウハウを駆使した作業はどれほど大変か。また完全に可能とは言い切れない中でそれを諦めず、推進していく努力については脱帽するしかない。一方で既存のファシストグループがいわばよりどころとしていた楽曲、またそれを提供しているバンドなど、彼らの思想のリーダー的存在を鮮やかにすげ替えたスキームに胸がすく感覚を持った。力強いメッセージで人々を引っ張るインフルエンサーは各所に存在し、それは恐らく小さな善悪の振れ幅を忘れさせてしまうに十分なカリスマになり得る。その影響度を理解し、人々を誘導する「声」を他に創り上げ、正しい道に導くというスキーム、政治の世界でも見られそうな新たなニューリーダーの誕生といったところのストーリー性が秀逸だ。対抗馬となる新たなインフルエンサー的存在を仮想で創り上げ、ターゲットグループでのその信仰を最大限にした後に思想を180度転換させるメッセージングがなされるわけだ。これまでは常に同様の意見で集まり、盛り上がっていたファシスト傾倒の者たちにとっては、まさに寝耳に水、冷や水を浴びせられたような驚きであったに違いない。「予期しない出会い」で、その考え方を大きく変えさせる、まさに一撃必殺の象徴的事例として見事の一言である。
フィルターバブルはネット上の情報収集における現象のみではない。実はリアルに行動している中でも同様の環境にいることがある。思い起こしてみれば、これまで過ごしてきた生活習慣の中でも意外に刷り込まれていることというのは多い。鳥類にはふ化して最初に認識した動物を親と思い込み愛着行動を取る「刷り込み(インプリンティング)」と呼ばれる習性があるが、まさにそれをほうふつさせるようなことが人間界でも起こり得るわけだ。確かに子供は親と行動を共にし、その指導によって自らの行動を抑制するようになる。物事の善しあしの判断も家族や友人など、周辺の考え方を学びながら集団における暗黙知でルール化されることは多々ある。半面、他の集団で構築された暗黙知との齟齬(そご)はあり得るわけで、そのギャップが大きいといさかいに発展する。そう、異なるルールを持つ社会に属するそれぞれが自らの正当性を主張するようなものだ。どちらも正当性があるかのように見え、合意点は見いだせない。
しかし、鳥類の刷り込みにもルールはあり、また例外も生まれるという。例えば人間を最初に見たひなはその人間を親と認識こそすれ、親を追いかける追尾行動を引き出すには人間がしゃがみ込み歩く必要があるという。そう、そのままでは対象の背が高過ぎて、親という認識から外れてしまうらしい。また別の親代わりを提示することでそれに追随する行動も見せるなど、刷り込みはタイミングを計れば意外と覚え直しも可能だという。一度覚えて、さらにはそのルール下で長く生きてくればその習慣は当たり前のものとして続くこととなる。だがある種の刺激で、その思い込みも案外転換させることができそうだと示してくれたのが「Hack Marcket」キャンペーンだ。
Hack Market


Back Marketは、ヨーロッパを代表する再生品のマーケットプレイスで、時価57億ドルの資産価値を持ち、2022年にはFast Companyが発表するランキングで「世界で最も革新的な企業」の第18位に選ばれている。Back Marketが提供する、いわゆる「整備済み製品」は、「初期不良」によって返品されたり、出荷時に不具合が見つかったものを製造元が改修し問題なく使用できるようにしたもので、通常販売価格よりも若干安く購入できる点で人気だ。これらの商品は、eBayのような個人同士の中古品マーケットプレイスよりも質的にも信頼性がおけるということで、ハイテク製品をより安く購入したいと考えている消費者に自然な形で受け入れられているのだ。
しかし、Back Marketが目指したのは中古品市場でライバルに打ち勝つことではなく、より持続可能な消費行動を当たり前にするということ。すなわち、この「整備済み商品」を購入することが、購入者に「ある種の我慢」を強いるダウングレードなこと、あるいはなにかのマイナスを受け入れるトレードオフであるという認識を覆したいと考えていたのだ。なぜなら、彼らが扱う整備済みスマートフォンは新品よりも安いだけでなく、そのカーボンフットプリントは92%も低く抑えられるからだ。それらを選択することが「よりスマートな選択であること」を証明することで、誰もがその選択に自信を持てるようにすることがこのキャンペーンの目的だった。
Back Marketはこの事実をしっかり伝えるため、ターゲットとなる購入検討者の購買行動をハックし、まさに新しい携帯電話の購入をしようとするタイミングでその意識転換を図るチャレンジをしたのだ。なんとその場所は“ニュー・テクノロジーの殿堂”であるApple Store、まさに敵地に乗り込み、大胆不敵に行動しているのが痛快だ。世界の関心が環境問題に向く4月22日アースデイのタイミングで、Back MarketはAppleが持つモバイルテクノロジー、AirDropと新品のiPhoneを使い、より環境に優しい選択肢を訴えるメッセージを発信するキャンペーン「Hack Market」を開始。購買客がApple Storeで端末を手に取るたびに、設定したボットがAirDropを通じてビデオ広告を流し、Apple StoreではなくBack Marketが提供する環境に優しい代替品を選ぶようアピールしたのだ。そう、相手の軒先ではなく、まさに母屋に乗り込み、売り場のデモ機を自社の広告メディアに変換し、まさにストア全体をハックする大胆な作戦。そしてそのメッセージは「同じ機種を購入しても、二酸化炭素排出量を92%削減できることを販売者は教えてくれません。しかし私たちはそれを伝えました。Go refurbished(整備済み商品をどうぞ!)」と語りかける。ちなみにこの環境負荷に関する数値は、フランスの環境保護団体ADEMEが実施した調査を参考に、整備済み製品購入と新品購入の環境負荷に関するデータをなんと2年がかりで収集し導き出している。とかくインパクトを狙ったメッセージは「盛り過ぎ」になりがちだが、しっかりとしたファクトを導き出し、それをよりどころとするところに誠実さが感じられ、また信頼を持てる。世の中に出回っている、真偽は分からないがそれらしいデータを引用するのではなく、しっかりと自分たちで調べ上げ、そこに付け入る隙を見せないスタンスがさすがだ。
結果、4月22日に実施された1日限りのこのキャンペーンにより、パリ、ベルリン、ロンドンの六つのApple Storeの約5200人の来店客にリーチすることに成功、各国のメディアでこの奇想天外な作戦が報道されるとともに、ソーシャルメディアでも1億以上のインプレッションを記録している。「Hack Market」キャンペーンは、ブランド名の露出だけでなく、「整備済み製品カテゴリー」の価値を向上させ、3カ国でのキャンペーン後、整備済み製品の購入意向は平均27%増加、アースデイ 2022では、“refurbished”がトピックとして浮上したという。学びとしたいのは、新たなスマートフォンを買いに出かけたApple Storeで、別の販売店からまさしく「天の声」が届くというサプライズ感であり、それは関心を引き起こし、記憶に残すのに大いなる効果をもたらしたであろうこと。これまた、この章のテーマでもある「予期しない出会い」が意識転換に大きく寄与した事例と言えるだろう。
実はこのようなサプライズ的な新たな出会いを創出し、気付きを与えるコミュニケーションは以前からリアルな場では行われてきている。ジャンルでいえば「スタント」という、より瞬間的なイベント体験がそれだ。それ以外では以前にはやった結婚式や街中でいきなり人が集団で踊り出す「フラッシュモブ」などもそうだ。先にも触れたが人は偶発性への期待を抱いている。ちょうどこれらのカテゴリーが生まれたときはAmazonなどのリコメンドエンジンの精度が飛躍的に高まり、セレンディピティがバズワード化していた時期でもある。少し古い事例だが、思い起こせば「あった、あった」と思う、街中で仕掛けられたフラッシュモブやスタントの事例も見てみよう。イギリスのT-Mobileが実施した「dance」、そしてアメリカのテレビチャンネルTNTがベルギーで放送開始するタイミングで仕掛けた、“ドラマのある生活”を提案する「Push to Add Drama」キャンペーンだ。
dance


ある日の朝、通勤ラッシュの駅の構内で一人の通勤客がいきなりダンスを始める。そのダンスに導かれるように、踊る人々は増え続け、最終的には300人ほどが完璧な振り付けでそのダンスを完了する。その盛り上がりに、人々は目を見張り、また身体を揺するなどしてその瞬間を楽しみ、その感動的な出来事を思わず電話やメールで知り合いにシェアした。そう、これは「Life’s for sharing(人生は分かち合うこと)」をタグラインとした通信キャリアT-Mobileが仕掛けたスタントだ。現在のスマホほどの撮影機能はないものの、このサプライズイベントが実施された2009年は世界で携帯電話回線の契約数は46億にも及び、iPhone 3Gsの発売もありスマホの普及率が急速に伸長し始めるタイミングでもある。まさにソーシャルメディアの台頭を見越したように、「人にシェアしたくなる」コンテンツを先んじて提示し、その共有文化を創り出したのはこのT-Mobileかもしれない。
ロンドンのリバプール・ストリート駅を舞台にしたこの衝撃的であり、しかしエンターテインメントにあふれた映像は、YouTubeで1300万回という驚異的な視聴回数を記録し、T-MobileのYouTubeチャンネルは、イギリスで過去2番目に登録数の多いチャンネルとなる。ビジネス的にもT-Mobileの全国店舗では、過去最高の来客数を記録し、当時イギリス第3位のキャリアであるにもかかわらず、これを機にT-Mobileがナンバーワン・プロバイダとイメージする人の数は3倍にまで急増、ブランドリフトにも一役買っている。さらにはその売り上げも前年同期比52%アップしたという。
そもそもこのイベントの狙いは、彼らのスローガンである「Life's for sharing」を人々に理解してもらうことだが、企業側からただ言葉で言われても関心も湧かないし、分かりづらいし、さらに言えば回りくどい。しかし彼らはその伝え方を工夫し、「ほら、今あなたはこの瞬間の出来事を大切な人と分かち合いたくなったでしょ?」という体験を通じて、「なるほど、そーゆーことね!」という共感を得たわけだ。一瞬の出来事だがそのとき抱いた気持ちを「誰かと共有したい」と思わせ、行動させ、またその気持ちに気付かせるというところまで誘うこの仕掛けは、まさに現代のコミュニケーションでも基盤となる共感づくりをしっかり担保し、さらにはナラティブまで構築している。そうそう、ナラティブというキーワードも昨今の出現率は高いが、以前から当たり前に使われていた概念であり、手法でもあり、この頃からしっかりと効果を出しているのだ。パッと見はオモシロ施策に見えるこの取り組みも、実にコミュニケーションの王道をたどっており、スマホ普及といった社会的なタイミング、共感で紡ぐコミュニケーショントレンド、パワーコンテンツの自走力などを巧妙に組み合わせており、いま見ても学びが多い。さらに言えば、オンライン至上主義の現代においては、あらゆる情報が無造作に存在し、そのシェアにおいてもおざなりのものが多い状況だが、このT-Mobile事例で感じるのはやはり共有するというのは自身がなにに感動し、それを誰に伝えたいかというのが最も重要なのではないかということ。そのリアルな人と人のつながりが、さらにはそれが真のコミュニティーとして形成され、力となっていく、それはデジタル上の無機質なものとは全く異なるものではないのか、そんなことをいま一度考えさせてくれる事例だ。
Push Add to Drama


もう一つの事例はアメリカのテレビチャンネルTNTのもの。そのブランドプロミスは「TV worth talking about(話題にするに値するテレビ)」。新鮮なドラマシリーズ、評価の高い映画、そして洞察に満ちた実話を配信する高品質のエンターテインメント・チャンネルとして名高いTNTが、ベルギーのフランダース地方での放送開始に当たり、話題化を目指して仕掛けたのが「Push to Add Drama」だTNTのキャッチフレーズ「We know drama.(私たちはドラマを知っている)」をベースに、そのドラマチックな登場感をいかに創出するか、そしてTNTが自身のストーリーを語るのではなく、ユーザーが語りたくなるようなストーリーを提供できるかを基軸にこの体験機会が設計された。そして用意されたのが極めて平凡な町の広場に設置された大きな赤いプッシュボタン。ボタンのそばには「Push to Add Drama(ドラマを加えるために押してください)」の文字が。そして興味を持った人々が恐る恐るこのボタンを押すと、その面前でドラマチックでクレイジーな出来事が、ものすごいスピードで展開されるというもの。まるで自身がそのエキサイティングなドラマの登場人物の一人になったようにその臨場感に引き込まれていく。驚きもつかの間、ドラマは急速に収束に向かい、そのエンディングとして「Your Daily Dose of Drama(あなたの一日分のドラマ)」のタグラインが入った巨大な垂れ幕が登場。いわゆるドッキリ番組の仕立てなのだが、そのスケールがリアルタイムで映画を撮影しているようなクオリティーなのだ。そしてまさにその様子が映画さながらに撮影され、動画としてYouTubeに公開され即座に1,000万回再生、10万の「いいね!」、Facebookで100万シェアを獲得する。この動画だけでもリアリティー番組のティザーのように楽しめるものとなっており、プロモーションフィルムながらTNTの品質の高さに触れられるものとなっている。不意に出会ったエキサイティングな出来事は心を揺り動かし、思わずシェアしたくなる衝動を誘う。この疑似体験だけでも、一度はこのチャンネルをのぞいてみたくなるはずだ。
二つの事例に共通するのはタグラインにリンクした当時の新しいテクノロジーの採用、そして「ナラティブ」を通じてのブランド構築である。移動体通信キャリアであるT-Mobileの「Life’s for sharing」、ドラマチャンネルTNTの「Your Daily Dose of Drama」はどちらもソーシャルメディアが台頭してきたからこそ生まれたタグラインでもあるだろう。自分たちの理想のイメージを押しつけるのではなく、自分たちはどういう存在でありたいかを体験を通じて提示し、それを通じて個々人が感じたことをさらに人に語っていくというナラティブな現象を、それぞれライブで創り出している。このライブ感がある物語(ナラティブ)がその威力をしてソーシャルメディア黎明期に語り伝わり、このとき同様の価値観を持つ人々が集うコミュニティーの中で知らず知らず新たな出会いが生まれていくきっかけとなっているのではなかろうか。この章で取り上げた現在のエコーチャンバーやフィルターバブルはネット上での情報収集の仕組みを基盤に引き起こされている部分もあるが、「この領域のニュースしか見たくない」といった受け取り手側のクローズドな意志の影響も少なくない。耳障りな情報はできれば避けたいという気持ちは誰しもあるだろうが、それが情報遮断を招いているかもしれない。いくら言っても聞く耳を持ってもらえない、という経験をしたことがある人も多いだろうが、耳を貸してもらうには働きかける側がその人を振り向かせるだけのきっかけや新しい仕掛けをしっかりと用意する必要があるということも忘れてはいけないだろう。
人々は想定内に物事が収まることで安心しがちだ。しかしその環境に身を置くといつしか冒険ができなくなる。新たなことへ踏み出す勇気がなくなる。いやそこまでいかなくとも、おっくうになるくらいのことかもしれない。しかしセレンディピティを信じ必然に思えた出会いもなにかしらの働きかけによって新たな価値を自分に提示してくれるかもしれないのだ。そして意外に人々はそんなチャンスを潜在意識の中では待っているのかもしれない。世の中は情報先行で、まず体験から学ぶという機会は減っているようにも思う。既定路線で物事が片付くことも悪くはないが、そこにイノベーションは起こらない。コロナ禍という大きな環境の変化が人々の生活と意識、そして価値観を大きく変えたように、われわれが未来を切り開いていくには偶然性にその身を委ね、与えられた環境にひたむきに努力し、一筋の光明を見いだすようなスタンスを持ってもいいのではなかろうか。われわれコミュニケーション業界やメディア業界の人間も、そういう変化につながるような機会提供をせねばならないし、特にデジタル上においてはユーザーに偏りのない情報を提供していくことがいまとても大事になっていると感じる。そしてそれこそがコロナ以降、世界で進んでいる分断を防ぐ一つの手段になり得るのではないかと強く思うのだ。
最後にこの最終章で紹介した「予期せぬ出会い」を体験する簡易的な検索エンジンを、今話題のMicrosoftのGPT-3とGoogleの検索APIを組み合わせて作ってみたので試してみてもらいたい。まさに「想定外」の回答を得る体験となれば幸いだ。そこからなにを想像するのか、なぜその答えが出てきたのかの裏側のロジックを考えてもオモシロいかもしれない。世の中を変えるのはいつでも「想定外の出来事」であり、しかしその先にはより良き未来が切り開けるはずだ。

HONESTY
HONESTY
HONESTY
HONESTY
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盛らない美学。
正直に、誠実に語る。