REMEMBRANCE
自身の過去の記憶と
経験を大切にする。
6月から9月にかけて可憐な青紫の花を咲かせる「ストケシア」は、日本名では瑠璃菊と呼ばれている。この花の花言葉は「追想」「追憶」であり、欧米では青や紫は “悲しみ”を表す色とされていることからきているようだ。追想・追憶とは、脳に記憶している過去の出来事を思い起こすこと・その思い出に浸ることだ。起こったこと自体、つらいことや悲しいこともあれば、楽しかったこと、うれしかったこともあるだろう。出来事のほんの一瞬だけを記憶していたり、その時の気持ちを覚えていたり、後で勝手な妄想が付け加えられたりすることもある。つまり、それぞれの個人がおのおのにとって都合のいい形で記憶として脳内にしまい込んでいるのだ。そう考えると、実は私たち人間の記憶というものは、かなりあいまいなものかもしれない。人間は先週起こった出来事の90%を記憶していないというデータさえある。ただその分、何かのきっかけで思い出された記憶は強烈であり、それぞれの思いが入り混ざった想像性を伴うものとして再度出会うことになる。人の「出会い」に関しても、頻繁に別れてはヨリを戻すという人もおり、他に出会いがないということ以外にも、良い具合に補正された過去の記憶がここに作用しているのかもしれない。
一方でデジタル上のデータとAIを活用し、過去の記憶とコンタクトを取る方法も最近では研究が著しい。アメリカのスタートアップLukaの「Replika」というサービスは、AI開発者が事故で親友を亡くしたことがきっかけで誕生した。その親友とやりとりした数千ものメールやチャットのテキストデータを分析するAIチャットボットをつくり、まるで親友と話しているようなやりとりができるようになっている。だがこの親友のレプリカは思い出について語り合うことはできても、新しい話題について意見を述べ合うことはできないという。こういったAIを使い永遠に生き続ける“不死のアバター”は、データをデジタル上にアップロードすることで故人がまだ生きているかのような体験を可能にしてくれる。さらに大量のデータが集まれば、より精度の高いコミュニケーションが可能になり、さらに活用範囲が拡大されていくだろう。とはいえ、AIアバターに関しては人間の存在そのものや倫理に関連する複雑な問題を引き起こす可能性もあり、多様な観点から議論されつつも、否定的な意見が大勢を占めるのもまた事実である。過去の記憶をデジタル化し、寸分たがわず再現することは技巧的には関心は集まれど、果たしてそれを望む感情というのはどこまで存在するのだろう。ある意味、人々の頭の中で良き形に補正され、「追想」「追憶」される方が幸せな状況も多いのではなかろうか。
もう一つ気になるのはそういった曖昧な記憶に対する人々の探究心だ。当然のことながら過去に起こった事実は一つでしかなく、しかし人々が同じ事象を語らうときには複数のストーリーが混在したりする。「あれはああだった、これはこうだった」という一人一人の記憶は、もっともらしく語られつつも「あれ?そうだったっけ?」というポジションで揺れ動きながら、複数人の発言で徐々にその正しい姿に形成されていく。過去のルールが淘汰(とうた)され、ニューノーマルに置き換わりつつある今、一人一人の過去からの思い込みも機会あるごとにリバイスされ、そして社会の通説、認識をもひっくり返す現状はこれに近いものかもしれない。世の中の一人一人の意見がぶつかり合い、混じり合い、溶け込んで一つになる。PRでいう合意形成というのはまさにこういうステップを示している。しかし、個々人のクローズドな追想が繰り返されれば、その思い込みはより強固になり、先の自身の都合の良い理解ばかりが凝縮し、もはや解きほぐせない状態に陥ることも多い。そしてこれはある意味、現代社会の問題となっているフィルターバブルやエコーチェンバーのような状態と近しいと言えるのかもしれない。同じ情報に何度もさらされ、超指向性の考え方にとらわれてしまうのだ。そんな記憶は、ときどき意図的に屋外に連れ出し、他の人の記憶と交流させ、その凝りをほぐしてやる必要がある。そして正しい姿に戻してやるのだ。はてさて、人間の記憶というのはなかなかやっかいなものである。
さて、マーケティングの世界でもAIは大きく期待されている。最近では大量のテキストデータを学習させたOpenAIのChatGPTやGoogleのLaMDAのニュースがコミュニケーション業界をはじめ世界を席巻しているのはご存じの通り。現状の精度はさておき、今後アフィリエイト、バナー広告も大きく変化し、AIにより情報接触の在り方や購買行動への影響などに変革がもたらされることは間違いない。しかしそんなデジタル化が進む中でも、人々の眠った記憶を掘り起こし、まさに追想・追憶を巧みに促し創り上げたコミュニケーションの優れた事例をいくつか紹介したい。まず一つ目は、人々の記憶の中にあるイメージから圧倒的な存在感を世界に証明した「Heinz Draw Ketchup」だ。
Draw Ketchup


ハインツは、世界中でケチャップを象徴するブランドとして知られている。しかし、多くの競合が市場に新規参入してきたことで、昔ながらで古いというネガティブイメージが増幅し始め、消費者のハインツブランドに対する親近感が低下していることを懸念していた。ケチャップといえばハインツだということを人々が認識し、次世代においても、その象徴が受け継がれていくことをハインツは望んでいた。
そこで18カ国の人々を対象に「Draw Ketchup~ケチャップを描いてください~」というトライアルを実施した。絵のクオリティーはさまざまだが、結果的にほとんどの人は、ケチャップと言われたときハインツのガラス瓶を思い浮かべ、真っ赤なボトル、ハインツのロゴ、ラベルに書かれた57という数字までも描いたのだ。このことによって世界の多くの人はケチャップ=ハインツと記憶していることが証明され、ケチャップとハインツの間には本能的で直感的に関連づけるものがあるということが明らかになった。人々が描いた“ケチャップ”の絵は、ハインツの広告に使用されるなどグローバルでキャンペーンに利用された。この絵はカスタムボトルのラベルとなり描いた人々に贈られた。さらに優秀な作品はデジタルアートのサイトでオークションにかけられ話題を呼んだ。このキャンペーンは世界中のメディアに取り上げられ、初期投資の127倍の宣伝効果を生み出しソーシャルエンゲージメント数は1496%も上回った。さらにハインツはケチャップの象徴だということを世界に証明することにも成功、売り上げが10%も伸びた。当初懸念していたハインツのブランドに対する親近感はより向上し、愛着や忠誠の強化につながり象徴的な地位を取り戻すことができたのだ。
日々の生活の中で繰り返される行動は、長い年月を経て刷り込まれ記憶される。朝起き、顔を洗い、歯磨きする、コーヒーを入れて飲む、パンを焼いて食べる。ランチでハンバーガーをオーダー、サイドディッシュのフライドポテトにつけるケチャップのボトルを手に取る。そうやって刷り込まれていく。特に幼少期のころから、何度となく何げなく手に取っているものは、感触と視覚から入り無意識のまま記憶に刻まれる。このハインツの挑戦によって、消費者にあらためて、「自分だけでなく世界の人々もケチャップはハインツだと思っている」と認識させ、仲間意識を生み出し、これからもハインツを手に取ることに安心感を与えている。今後、さらに競合ブランドが勢力を伸ばしてきたとしても、長年の繰り返しの行動により刻み込まれたハインツの「記憶」を持つ消費者にとっては、特別な愛と忠誠心が揺るぎのないものとなるだろう。そして、次世代の若者たちは、このコミュニケーションを行ったハインツに対し敬意の念を抱き、結果的に今後長い間ハインツは不動の地位を築くことだろう。過去からの「記憶」を持つファンも、このトライアルによって獲得した新しいファンも巻き込んだ素晴らしい事例だ。
ハインツは「日々の記憶」にフォーカスして成功を収めたが、それとは別に「人々の記憶」にフォーカスした事例をいくつか紹介していきたい。
Long Live the Prince


昨年のカンヌライオンズ2022でチタニウムライオングランプリを獲得した「Long Live the Prince」(KIYAN PRINCE FOUNDATION)だ。
イギリス・ロンドンに拠点を置くフットボールチーム“クイーンズ・パーク・レンジャーズ”のユースチームに所属していたカイヤン・プリンスは、学校で友達のけんかの仲裁に入り、ナイフで刺され2006年に15歳の若さで死亡した。将来イングランドの代表に選ばれるであろう選手として注目されていた彼の死は、多くのメディアで取り上げられ、子どものナイフによる殺傷犯罪の悲劇の象徴的な事件となった。カイヤンの死を受けて、彼の父親はKIYAN PRINCE FOUNDATION(カイヤン・プリンス財団)を設立。弱い立場である若者を、ナイフによる犯罪や暴力から遠ざけるための活動を行っている。しかし、規模もそれほど大きくないため、知名度も低く、資金調達も困難な状況に陥っていた。何より今の若者たちは従来のナイフ犯罪撲滅キャンペーンを信用せず自分ごと化していなかったため、これまでにない方法で若者にアプローチする必要があった。
エントリー映像では大きく割かれていないが財団の公式チャンネルにあるカイヤンの父親のメッセージにあるように(これがすごく心を打つので見てほしい)、彼はカイヤンの可能性にあふれたもう一つの人生を見せることで若者によるナイフ殺傷事件や暴力事件のない社会に少しでも近づくのではないか、と考えた。そして彼の死から15年、ナイフ犯罪を撲滅するため、残っている映像などのデータ、元チームメートや友人に体格や身長や筋肉のつき方やプレースタイルをヒアリング、それらを基にAIで成長したカイヤンをつくり上げ、彼がかつて所属していたクイーンズ・パーク・レンジャーズのトップチームとバーチャル契約を交わし、FIFA公認のサッカーゲーム「FIFA21」にカイヤン・プリンスを選手として登場させた。若者が集まるゲームというプラットフォームを活用することによって大きな反響を獲得した。そして、これを起点にサッカーに関わるさまざまな企業が賛同し協力をした。アディダスからは「FIFA21」の中でカイヤンが着用するブーツが提供され、FIFA21の他の選手同様にカイヤン・プリンスのトレーディングカードゲームも販売されただけなく、JDスポーツ・ファッションとの広告に登場するなど多くの人が30歳になり活躍しているカイヤンを見ることができた。キャンペーンの開始からわずか24時間で「カイヤン・プリンス基金」には活動3年分の寄付が集まり、カイヤン・プリンスというワードのGoogle検索は、彼が刺殺された時よりも多くなった。イギリスのメジャーなメディアはこのキャンペーンをこぞって取り上げ、グローバルでも1000件以上のメディアでの掲載があり、キャンペーン後に500人の若者にアンケートを行った結果、60%の人がカイヤン・プリンスの名前を知っており、74%が「もし友人を助ける必要があればカイヤン・プリンス基金を勧める」と答え、圧倒的な認知と支持を得ることに成功した。さらに、寄付によって得られたお金は、「カイヤン・プリンス財団」が行う、若者によるナイフ犯罪や暴力の撲滅に対する活動資金に充てられている。
カイヤン・プリンスに対する人々の記憶は15年前に起きた悲劇的な事件で止まっていた。しかし、父親のわが子の死を無駄にしたくない、という熱い思いがさまざまな企業を巻き込み、カイヤン・プリンスが歩むはずだったもう一つの新しいストーリーを作り出した。先ほども述べたが最新の技術を活用することで過去の記憶にアクセスすることは可能だ。しかし、未来はそれだけで作り出すことはできない。この新しいストーリーの中にいる30歳のカイヤンを見て過去の記憶を思い出した人もいれば、新たに記憶した人たちもいただろう。青少年の輝かしい未来を破壊してしまう犯罪の悲劇だけにフォーカスするのではなく、人生の可能性を示唆することでナイフ犯罪や暴力に関わろうとする若者たちに可能性へのインスピレーションを与え犯罪を踏みとどまり考え直すきっかけになったのではないだろうか。死の記憶が人々の心を動かし社会が一つの方向に向かうことのできた素晴らしいコミュニケーションである。
そして、もう一つ最後に紹介するのは電通が生んだ不世出の天才である菅野薫氏が手掛けた、「Sound of Honda/Ayrton Senna 1989」(本田技研工業)だ。
Sound of Honda / Ayrton Senna 1989


1989年のF1日本グランプリ予選、鈴鹿サーキットにおいてアイルトン・セナは世界最速ラップ(当時)を達成した。当時、F1およびセナの人気は特別なものがあり日本では「音速の貴公子」と呼ばれ愛されていた。速さを追い求め妥協しない精神が表れたその走りは世界中を魅了した。1988年、1990年、1991年とF1世界選手権でワールドチャンピオンを獲得したセナだったが、ホンダがF1を撤退した1年後の1994年イタリアサンマリノグランプリで走行中にコーナーに激突、34歳の若さで死亡した。この衝撃的なニュースは世界中を悲しみに染めた。
「Sound of Honda/Ayrton Senna 1989」は、この伝説となってしまったセナの神がかった走りをよみがえらせたプロジェクトである。1989年、彼が鈴鹿で最速ラップを出した際に記録されたアクセル開度やエンジン回転数、車速の変化などのデータを解析することによって再現したエンジン音と3DCG技術によって走行軌跡を再現、そこに極めてアジアらしい光というメタファーが加わることで、まるでセナが降霊したかのような映像が完成した。この映像は、インターナビのサイトとホンダのYouTubeチャンネルにアップされホンダのソーシャルメディアで告知された。プロモーションは一切行わなかったが数時間のうちに世界中のメディアが映像を取り上げ一気に広がり、視聴したファンからは、ホンダとアイルトン・セナに対する感動的なコメントが次々と寄せられた。
セナの走りを支えていたのは、ホンダの技術だった。1989年にセナが世界最速ラップを樹立したとき、ホンダは、走行中の車のセンサーからエンジンの回転数やアクセルの状態を記録し解析するシステム「テレメトリーシステム」を開発しF1に導入していた。そのため、ホンダは、セナの世界最速ラップのテレメトリーデータを持っていたのだ。データを基に、当時セナが乗っていた同モデルのマクラーレン・ホンダ MP4/5にマイクを内蔵し実際に走らせるなどして、あらゆるエンジン音を集音した。そして、全長5.8kmの鈴鹿サーキットに数百個のスピーカーとLEDが並べられた。やがて闇が訪れた時、走行データに応じたサウンドと光が放たれ“あの日のセナの走り”が再現されたのだ。このコミュニケーションはセナの走行データを取得した「テレメトリーシステム」の技術がもととなった、さまざまな情報を最適化してドライバーに伝えるカーナビゲーションシステム「インターナビ」の訴求、そしてホンダの技術力の高さをあらためて認知させ“ホンダらしさ”を伝えることだが、たった一つのデータから世界中の人々の心にあるセナの記憶を呼び起こし、音と光によってあたかも本人がマシンを走らせているかのような映像を通じて、一人一人が持っているセナの記憶から想像を巡らせ大きな反響を巻き起こした感動のストーリーでもある。先ほどの「Long Live the Prince」もそうだが、データやテクノロジーをベースにしながらも人々の心を動かし、鳥肌が立つ瞬間がそこにはあるのだ。ちなみに菅野氏の他の作品であるHONDAのCONNECTING LIFELINESやDOTSもデータから人の営みをストーリー化する、という視点では同一線上にあるとも言える。
いつかは役に立つだろうと愚直に記録し続けたデータが、ようやくその期待に応え新たな姿を現す時代になった。パンデミックにより人類が危機に陥ったことを機会に、テクノロジーの進化は最近目覚ましく、数年分の研究開発が一気に進んだともいわれる。そして、記録・アーカイブされたデータが最新テクノロジーで可視化されたり、また急速進化したAIを経て、既存データから未来を見通すというトライアルが重ねられ、われわれに新たな体験を提供してくれる機会が増えた現在にはワクワクするばかりだ。しかし、先に触れたChatGPTも、求める正解への近道ではあるものの、たどり着くゴールが常に同じというのも素っ気なく感じるのはなぜだろうか。「追想」「追憶」など人の感情に影響され、その思いの強さによって同じ事象が百人百様のものとして存在することが創造性にもつながるのではなかろうか。データ、あるいはデジタルという領域でばかり話が進むとすれば、答えは画一化され、多様性というものも薄れていってしまう気がしてならない。
テクノロジーに期待するあまり、それありきのコミュニケーションだけを採用していてはこれまでの想像をなぞるだけで大きな化学変化は起きづらいのかもしれない。宇宙旅行、空飛ぶクルマ、AIの自意識保有など、子供の頃に夢物語として映画や小説の世界で見聞きしてきたことは、少しばかりスピード感が緩みながらも着実にその世界を実現しつつある。それは一昔前の夢物語ではあるが、現在の夢物語とは異なり、その定義さえもが古びてきているのではないか。そう、そのとき感じたきらびやかな未来とは異なる、なんだかギスギスした、虚無感を含む鈍色の未来。一方で未来ばかりを追い求める目線から離れ、過去に思いをはせる視座に重きをおく人々も増えている気がする。危うげな未来を妄想するのではなく、歴史は繰り返すの言葉通り、過去を見つめて未来を知るというもう一つの解。それはまた、どんどんと歩を進める未来の出来事に一生懸命付いていこうとする自分に疲れ、少しばかり過去を振り返り、自分の内面に目を向けようとするノスタルジー、古き良きゆったりした時間の流れを楽しみたいという欲求が反動とも言えそうだ。
さて再度事例に話を戻すと、ハインツの事例は個々の人々の心の中にあるイメージの多様性を意識しつつも、そのよりどころとしての自社製品の存在に自信を持っているからこそ成立しており、アナログだが共感できる体験機会を創り出している。そこには、デジタルによるゼロイチの判断といったソリッドな考え方ではない、人の多様性をも尊重する現代的配慮のようなものが感じられてならない。多様性という言葉も昨今、頻繁に使用されるようになったが、その違いを埋めるというよりも、ちょっとしたモノの捉え方の違いが当たり前に存在するというところに目を向けて、その違いを楽しむという視点で対処されている事例も増えている、マイナスをなくす視点でなく、それを当たり前とし受け入れる姿勢。そう、それはあたかもアートを人々がそれぞれの目線でめでるように、なにかを媒介にして自身の感性を表現し、その響き合う接点を見いだし交流するスタンスに似ている。そして冒頭述べた「追想」「追憶」は、自身が経てきたさまざまな体験をどの基準で評価し記憶してきたかの道しるべとも言える。それは感性に近い。自分と相手の中に眠る共通のシーンを思い浮かべながら、相手の記憶を呼び起こすような体験を通じて、そこに共通項が見いだせたとしたら、それはまた新たな価値ある出会いとなるはずだ。そして、ここで取り上げた事例のように心に染み入るストーリーを共有できれば、それは忘れ難い記憶として人々の「追想」「追憶」を上塗りしていくだろう。「人に歴史あり」というテレビ番組が昔あったが、企業にも歴史があり、そしてそれは間違いなく人と社会と共生してきたわけで、同じく共通の記憶を創ってきたはず。まずは、自分たちの過去の資産や、商品、サービスなどが人々にどのような記憶を残せてきたのかを再確認し、併走してきたであろうその道筋を改めて顧みることで自らの社会的存在意義を知るきっかけとするのもいいだろう。

ESTEEM
ESTEEM
ESTEEM
ESTEEM
ESTEEM
NEXT CHAPTER


ユーザーの一人一人と
真摯に向き合う。