ARTIFICE
これまでの言い方や
見せ方を変える。
「アカンサス」の日本語名は「葉薊(ハアザミ)」で、日本では少しなじみが薄いようだが、原産地である地中海沿岸、その中でもギリシャでは国花に指定されるほど愛されている。花期に花茎を長く伸ばし、花を穂状に密につけるが、幾重にも重なる紫色の萼(がく)と白い花弁のコントラストがとても魅力的で、また濃緑色で光沢のある大きな葉の形状が美しく、建築やつぼなどの装飾柄としてよく用いられている。暑さ、寒さにも強く、野にも自生するくらいの丈夫さで、背の高さは大きなものになると150cmにも成長し、その存在感を放つ。先の通り、アカンサスの葉が古代ギリシャ建築の柱装飾のモチーフになっているのは有名で、花言葉は「芸術」や「技巧」とされている。一方で属名の学名「Acanthus(アカンサス)」は、ギリシャ語の「akantha(とげ)」が語源であり、葉先が鋭くとがった種があることにちなむという。なるほど、「技巧」という言葉にも美しさのみならず、チクリと一刺しするようなエッジーなアプローチが含まれていることも多いなとついつい想像したりもしてしまう。ギリシャ建築も当初は必要最低限の材料から始まった建築物であったろうが、彫刻をはじめとする工夫が施され、さらにそこにさまざまな意味や価値が付与されつつ、その巧みさによって時代を超えて多くの人を魅了していることからすれば、さまざまなレイヤー、多様な嗜好(しこう)を持つ人々の関心を多く集めるためのヒントがここに隠されているのかもしれない。
歴史的建造物に話が及ぶなど少し話が大げさになってしまったが、今回のLIONS GOOD NEWS 2023のテーマでもある「相手に情報を届け、出会いをつくる」ためには、この「技巧」は非常に重要な要素の一つでもある。かつて、「広告はラブレターである」という言葉をよく耳にしたが、出会いの前段で相手にどう巧みにアプローチしていくか、はますます重要になってきているのだ。ソーシャルメディアの浸透を背景にした情報氾濫時代において、どの情報に向き合うのか、その判断さえも一生活者には非常に難しいこととなってきている。他章で触れているフェイクニュースしかり、正しい情報を取捨選択し向き合わねば、その後の自身の行動およびその結果に多大な影響を及ぼしかねない。それはポジティブな成果の大小もあれど、逆にネガティブな影響を被ることの可能性も多分にあるのだ。その意味ではコミュニケーション領域における情報発信において、発信側の最もトラッドな手法である「アート&コピー」が最も必要とされ、さらに影響力を持つ時代とも言えよう。まさに一周回って、ベーシックな部分に回帰する現象である。ただし、この情報洪水の時代では、いかに素晴らしいコピーを書き上げても、あるいは情感に強く訴えかける強力なクリエイティブのCMを作り、大量に流したとしても、次の日には全員に知れ渡っているといったことはほぼないのも事実だ。かつての伝えたいことをいかに気の利いた言葉で、また見栄えよく表現するかという競争から、いかにその背景にある物語を伝え、感情を揺り動かすことができるのかという、より深層へのメッセージ力が求められるのが現代なのではないだろうか。言葉遊びや先端技術による差別化を目指しても、それさえももはやコモディティ化している。真に心に突き刺さる訴えだけが情報の波の中でしっかりと根を張り、その姿を維持・存在し得るのかもしれない。「技巧」という言葉の定義も、スキルやテクニックというレイヤーではなく、「人のココロを動かす」ノウハウという意味合いが強まってきているのが現代コミュニケーションの真理ではなかろうか。そしてそれを伝えるにはその技巧を「どんな人が、どんな目的で」駆使したのか、さらに言えば「創作の動機となった思いや背景」などを含めて表現していくことが重要になってきているのだと思う。
これより紹介する事例は、まさに主体者が強い思いを抱いていたり、置かれた背景や課題がユニークであったりはするものの、それらを振りかざして「俺の思いを聞けー!」と一方的に社会に対して叫んでいるわけではない。その伝えたい思いの核となる部分を決してブレさせぬよう、そして受け手の感情を揺さぶるような形に創意工夫を通じて構築されたメッセージが強い影響を生み出している好例、いわばアート&コピーの発展形とも言えるものである。そのメッセージは人々の気持ちにしっかりと入り込み、考えさせ、これまでの価値観の転換にまでつながることとなっている。まず最初の事例は「#flutwein - our worst vintage」である。
#flutwein - our worst vintage


通称「赤ワインの楽園」でその悲劇は起きた。ドイツでも有名な赤ワイン生産地であるアール地方は、2021年夏、壊滅的な洪水に襲われ、家、企業、橋、道路、コミュニティー全体が流されてしまったのだ。ワイナリーもその被害を免れず、46以上のワイナリーが、施設、セラー、ワイン樽、機械、そして何ヘクタールものブドウ畑を失うこととなった。わずかに残されたのは、泥と土で汚れた到底市場には出荷できないであろう20万本ものワイン。生産者はいちるの望みを懸けてこれを「flutwein(泥まみれのワイン)」と名付け、産地復興のためのクラウドファンディングで販売する。しかしそれは、生産者コミュニティーの連帯と支援、そして震災のシンボルとなり、ワインメーカーが直面する経済的な災難を世の中に広く知らせるきっかけとなり、その支援の声は徐々に高まっていった。10億以上のメディアインプレッションを通じて、この20万本のワインは、およそ5万人の支援者により完売している。
あらがいようのない自然災害により、徹底的な破壊に見舞われた人々の喪失感はいかほどのものか。しかし諦めることなく、前を向き、現状打破を図るその勇気に社会が賛同の目を向けてくれたわけだ。普通に考えれば、この泥だらけのワイン、いわば「映えない」ボトルは、受け取り手によっては「汚い」「価値がない」と思われても仕方のないものだろう。ただ見方を変えれば、そのような災害を乗り越え生き残ったワインであり、またその背負ったストーリーによって単なるモノとして以上の価値を生み出しているのだ。決してお涙ちょうだいのアピールではなく、自然とそのストーリーが人々の感情を揺さぶり、新たな価値を彼らの中で醸成し、またその泥まみれのボトルデザインさえもが唯一無二の存在として評価されるに至っている。荒々しい泥との対比が美しい、洗練されたデザインとして認められることで、鋭くアイコニックになったワインボトルにはデザイン的な価値も付加されたのであろう。特にデザインにこだわりがある、前衛的な考えを持つなどのインフルエンシャルな人々を筆頭に話題となり、ワインの価値も45倍まで膨れ上がり、最終的に440万ユーロの寄付を集めるに至っている。「手に入れることで復興支援を表明できるアイテム」というのはもちろんだが、「自らの洗練された価値観を可視化させるアイテム」という自己表現にもつながる価値も併せて創出されている。
ちなみに、日本の皆様ならこのような施策をどこかでお聞き及びではなかろうか。2018年夏に日本各所を襲った豪雨災害を受け、被災地の山口県・旭酒造が廃棄されるはずの日本酒を「復興酒」として売り出したことがあった。こちらも58万本が購買され、結果1本当たり200円を充てた義援金は、総額1億1600万円を生み出すこととなっている。これからも同様のアプローチは実行されるであろうが、それは単なる二番煎じにはならないはずだ。この事例の通り、災害による苦境に苦しむ人々への救済という背景ストーリーはどこにでもあり得ることであるものの、そこになぜ人々が思いを寄せられるかといえば、逆にいつ自分やその周辺に降りかかってくるやもしれない出来事だからなのだ。そこに自分を置き換え、自分だったら何を感じ、何をするのか、それを考えることがナラティブであり、現在のコミュニケーションの軸となる。だからこの支援活動も、困っているから寄付しようという短絡的な行動のみならず、苦境の情報をシェアしたり、泥だらけのボトルを評価したりと多様な行動が生まれ、またそれが二次的な効果を生み出している。そう、そのボトルがデザイン的にも評価され、価値が上がるように。ナラティブから発生するさまざまな価値観が、人々に考えさせ、会話させ、既存の慣習を打ち破り、ニュールール、ニューノーマルを生み出していくプロセスが、ここに顕著に見ることができるのではなかろうか。
さて、「汚いのに価値がある?!」のようなインバース(逆転)的な創意工夫は人々の興味関心を引く上でもトップレベルのインパクトを誇るPRフックとなり得るが、お次のインバースは敵対的な行動を逆手に取り、自分たちの仲間にしてしまうユニークなからくりで秀逸な「Go Back To Africa」を紹介したい。
Go Back To Africa


1525年から1866年の間に、1250万人以上のアフリカ人がコミュニティーから連れ去られ、奴隷として労働をさせられた歴史をわれわれは忘れてはいけない。しかし、今日でも「Go Back To Africa」といった人種差別的な言葉が、ソーシャル・プラットフォーム上だけでも3分ごとに使用されるなど、抑圧体制は続いている。そんな差別用語がブラック・コミュニティーをサポートする真逆の言葉として生まれ変わったらすてきではないだろうか?
ブラック・コミュニティー向けの旅行ブランド、Black & Abroad(ブラック&アブロード)が行った施策は、まさに敵を味方に変えてしまう痛快なものであった。「Go Back To Africa」というヘイトワードTweetをアルゴリズムで検知すると、その差別的な文章部分のみを黒塗りにし、それらの背景にアフリカの雄大な景色を添えて公式アカウントで再投稿する。つまりは、敵がヘイトスピーチという名の攻撃をすればするほど、アフリカ旅行をポジティブに促す仕組みになっているのだ。おまけにそれらの画像には黒人自身がアフリカ旅行を楽しむ写真が多用されており、旅行=白人のものというまん延する偏見にさえ切り込む役割も果たした。実はこのキャンペーンの主目的は、これらの差別を是正するということを第一義にしていない。旅行会社のマーケティング課題として、アフリカの旅行先をターゲットに商品化する際に、二つの重要な障壁があり、これを打破したいという目的があったのだ。一つ目は、「アフリカは危険で好ましくない旅行先であるという誤解が広まっていること」、そして二つ目が「商業的な旅行イメージの中に黒人旅行者の姿がないこと」だ。これらの課題を解決しつつ、さらには自社のミッションとして、「現代の黒人旅行者のための世界体験を再定義するリーダーとしての地位を強化する」ことを目指している。
そこでトライされたのが「Go Back To Africa」というワードの再利用であり、しかしこれには相当なネガティブイメージがまとわりついているという状況なのだが、それを逆手にとって情報の拡散と、それにまつわる会話を生み出している。頻出するヘイトワードの機会を生かし、まるで合気道のように相手の力を再利用し、大きなパワーに転換する。ネガティブではあるが、感情のこもった投稿だからこそ、それは威力を持って拡散するわけで、それを機会として使用するというのは極めて勇気の要る行動だろう。しかし、そのくらいの気概で行うからこそ、黒人コミュニティーに対しても姿勢を見せられ、その存在を誇示できるし、さらにその半面でヘイトワードの一掃をもくろんでいる、とても緻密な戦略なのだ。成果も素晴らしく、ブランド構築に関しては、ブランド認知度が315%向上、ブランド検索も2倍に。またマーケティング的にはBlack & Abroad社主催のアフリカ旅行への予約関心が60%増加、視聴者の88%がアフリカ訪問への関心が高まったと回答している。さらに差別に対する意識転換においては、89%の視聴者が、このキャンペーンを通じて「Go Back To Africa」というワードに対する嫌悪感が軽減されたとし、52%がこの言葉は「希望」や「力」になると感じている。まさにヘイトワードが一転して、ポジティブなイメージに置き換わるという素晴らしい状況となっている。ブラック・コミュニティーにおいてもこのキャンペーンに対する反応は、ほぼ満場一致でポジティブなものらしく、最も多い反応は「「Dope!(最高)」だというから痛快だ。
冒頭にも述べたが、本施策に限らず、創意の発端となった主体者の思い(怒りや疑問、悲しみ、不満)が強ければ強いほど、工夫としてのアウトプットがパワーを持つ傾向にある。理想とする世界と現実とのギャップが大きい場合、アイデアとしてのジャンプ力が必要になるからだろうが、そのギャップは大抵の人々から見過ごされたり、無きものとして扱われたりしていることが幾つかの事例を見るだけでも分かる。たまった膿(うみ)にメスを入れると、ひどい出血や後遺症を伴うため高度なテクニックが必要なように、施策においてもここが腕の見せどころだろう。美しいアフリカの大自然や、それを享受する人々の雄大さを表した情緒的なクリエイティブ構成に対して、それを伝える手段としてのアルゴリズムは知能的であるというギャップも、この施策が魅力的である理由の一つだ。
日本では“臭いものにはふたを”と昔からささやかれるが、本施策のような世界の事例が教えてくれることは、この臭いもの(怒りや悲しみ、敵)にこそ創意工夫を携えて立ち向かわんとする喜々とした姿勢が発揮するエネルギーの強さだ。どちらも、臭いものにふたをせず、デザイン的に価値あるものに変換する、アルゴリズムを使ってポジティブワードに変換するなどし、その本来のパワーをそぐことなくうまく流用している。それはまるで相手から向けられたネガティブな言葉尻を捉えてアレンジし、突き返すラップバトルのようなものであり、さらに相手のフィールドで自分の言いたいことを言い放つスキルだ。同様のスキルを存分に発揮し、相手方の振る舞いに対し、またも合気道的な立ち合いで逆転劇を引き起こすケースをさらに見ていこう。
「裸体の芸術作品はポルノだ」という相手の売り言葉(規制/検閲)を逆手にとり、相手が気を許したフィールドで自分たちの主張を鮮やかに言い返したのが、Vienna Tourist Boardが仕掛けた「VIENNA strips on OnlyFans」だ。
VIENNA strips on OnlyFans


世界を代表する芸術作品の故郷であるウィーンは、かねてより数々の芸術家たちが表現の自由のために戦った地でもある。その100年後の現代、FacebookとInstagramのアルゴリズムがウィーンの芸術作品に「ポルノ」というレッテルを貼り、BANしてしまうという事態が起きていた。ウィーン観光局のSNSアカウントはブロックされ、投稿は削除された。彼らは、自国の財産であるこれら芸術作品の威信を懸けて、その価値を世の中に再認識させる必要があった。そこで、このアルゴリズム検閲に抗議するため、ポルノと認定された芸術作品を、なんとポルノコンテンツの掲載を許可しているサブスクリプション・プラットフォーム「OnlyFans」に公開。この大胆な抗議行動に対し、世界中で2500の記事が作成され、7億3000万人以上に到達、大きな議論を巻き起こした。
大手ソーシャルメディアのアルゴリズムによって、このように芸術作品がポルノとして検閲に引っかかってしまうなどのバグは数多い。女性の乳がん発見のための検査動画が、同じく検閲に引っかかってしまうため、男性の乳房で代替した動画に置き換えたなどの事例も過去にはあった。テクノロジーは、時に本来の意図を外れて、行き過ぎた行動を取ることがここでもうかがえる。便利さや、楽しさに慣れ親しむうち、その違和感を感じるラインをいつの間にか越えてしまっていることも多い。この事例もそんな状況を教えてくれるきっかけとなるかもしれない。テクノロジーが芸術を理解できるのか、人間の美的感覚、芸術性などをどんな基準で評価しているのかは甚だ疑問だ。本施策で採られた創意工夫は「目には目を、バグにはバグを」とでも言おうか。相手(アルゴリズム)の判断はある種のバグであると捉え、ならばこちらも芸術作品を場違いなOnlyFansに展覧する、というバグをもって対抗するという全く新しい試みだ。その違和感の対比をもって、人々に考えるきっかけを与えている。これもナラティブ。そして、ヌード作品含め、芸術作品への確固たるリスペクト無ければ生まれないアクションでもあろう。またOnlyFansユーザーにおけるこの出来事も恐らくかなり話題になったことであろう。自身がOnlyFansのコンテンツを楽しんでいる際に、いきなり高尚な芸術作品が出てきたら、きっと急に現実世界に引き戻されたり、いら立ったり、なぜこれがここに?と疑問に思うなどして、スクロールする指が0.001秒でもぎこちなくなるだろう。その違和感をさまざまな人に与えることこそが最大の狙いだ。政府機関が18禁のサイトにアカウントを作成したというまさかのアクションは、「なぜそんなことをしたのか!?」と主体者の思い・意図を探りたくなるのが人の心理をうまく突いた施策とも言える。
さて、人々が自由に行使・共有できる技術の水準は上がり切っており、そのための勝負ポイントは「主体者の動機となった思いや背景」である、と述べてきた。しかし、矛盾するようだが、思いを持っていさえすれば、人々が「いいね!」を押してくれるワケではないことは、今回のこのサイト制作に当たって事前に実施した100を超えるNPOへのアンケート結果からも明確な課題となっている。「主体者の動機となった思いや背景」はあれど、「どう伝えていくか・どう支援者と出会うか」は同時の課題であり、そこに創意工夫が必要なのだ。創意工夫はなにも特別な能力を持つ者のみに与えられたものではない。ほんの少し、その視点をこれまでとズラしてみることで見えてくることもある。自分は普通の視点だから、と諦めないでほしい。むしろ今は、その普通人の感覚を維持できるかどうかこそが大切で、その正しい目で“世の中全般の興味・関心”と“自らの思い”との接点を見つけることが求められる。「普通の感覚」でさえ、時代によって変化している。ロングセラー商品が、その時代の嗜好に沿って消費者の知らないところでちょっとずつその味を変えているのと同じだ。小さいながらも価値の転換は常に起きている。そしてその接点を起点に起こすアクションにおいて、「自分だったらどう思うか」を自問自答すれば、おのずとその道が見えてくるはず。それが正しき「創意工夫」となっているはずだ。決して、今まで誰も思いつかなかったことを考え出し、それを行うためのよい方策を考え出さねばと重く考えないでほしい。成果につながれば、それは以前に見たやり方であっても適正な創意工夫なのだ。その視点を持ってもらいたいがために、このサイトでは過去の事例と最新の取り組みを比較提示しているのだ。いい意味で、過去事例を理解し、身に付け、実践してほしいと思う。
価値転換という観点から、最後にその昔ながらの商品イメージを大きく変えた成功事例として振り返りたいのがP&Gの男性用入浴商品である「Old Spice」シリーズだ。このカテゴリーではユニリーバが市場を席巻しており、「Old Spice」は老人向け商品のイメージが強く、大きなイメージ転換が望まれていた。Old Spice製品は、1934 年に設立されたシュルトン社によって製造・販売され、当初は女性向け商品であったが、その後、男性用商品も開発され1938 年に発売されている。まさに老舗ブランドというやつだ。しかし 1990 年にP&G社に買収され、新たな市場拡大に向け歩を進めようとしたものの、既に市場は若者向けブランドであるユニリーバの「AXE(アックス)」に支配されており、12~24歳という主要ターゲットも独占されていた。理由はその古くさいイメージによるもの。そこで2010年、スーパーボウルのタイミングで、大きなイメージ転換のためのCMを放映する。それが元 NFL スターのイザイア・ムスタファ を「Old Spice Guy」としてキャストした「The Man Your Man Could Smell Like」だ。
The Man Your Man Could Smell Like


今となっては、そのステレオタイプ的なアピールの仕方は受け入れ難い部分もあるだろう。映像を見ると、わずか30秒の中にすさまじいほどのワードと映像ギミックが詰め込まれており、確かに1秒たりとも目を離せない展開となっている。しかし、実はこれはただのユーモア広告ではない。男性用商品のCMといえば通常は男性に向けたメッセージングが並ぶわけだが、彼がアピールしている対象は男性側ではなく、その隣に位置する女性をターゲットとしている。こういったメインターゲット周辺の、当該製品の購買に関して影響力を持つ層に間接的にアプローチするというやり方や、競合商品であるAXEといかに異なるポジショニングを構築するかといった戦略が各所に盛り込まれており、マーケティング的にもかなり計算されている。もちろんCM内容自体は出演タレントムスタファのビジュアルの強さ、あるいは最後に掲出されるタグラインの強さなどによって威力を増しているが、技巧を超えた周辺戦略の一体感を感じさせる抜群の出来といえる。
Old Spice (2011)


ここで気を良くしたのか、翌年以降もムスタファ演じた「Old Spice Guy」と呼ばれるキャラクターを起用し続けるOld Spiceブランド。2011年には、ファンの質問やツイートに対して、Old Spice Guyが個人的に全てに回答する動画が制作され、ソーシャルメディアを通じて投稿された。しかもリアルタイムでその回答映像が撮影され投稿されるという離れ業、その数なんと2.5日間で186本という途方もない対応を達成している。個々の生活者とオンラインを通じて個別に語り合うというのは、古くは2004年にバーガーキングが制作したWebサイト「The Subservient Chicken(何でも言うことを聞く鶏)」がその原型かもしれない。オンラインで鶏にオーダーすると、Webカメラの前でその通りに鶏のコスプレをした人物がパフォーマンスをしてくれるのだ。彼は、踊れと言われれば踊り、歌えと言われれば歌う。そしてそのキャラクターは一気に4億弱のアクセスを背景にキャラクターとして独り立ちし、テレビの番組などにも出演を重ねるようになる。キャンペーンの枠を抜け出して、勝手に自走し始めるという、ブランドにとっては放置しておいても勝手に宣伝してくれるような存在になっていったわけだ。その後、10年近くにわたり、この愛すべきキャラクターは何度かキャンペーンに顔を出している。
このインタラクティブ性をさらに進化させ、現代的なソーシャルメディアの活用方法として法則化させたのがこのOld Spice方式だ。こちらも結果3億人もの消費者からのオンラインでのメンション、Twitterフォロワー数2700%増加、オウンドサイトへの回遊率300%上昇、1週間以内のYouTube視聴数4000万回などを記録している。2018年にはムスタファ 演じる「Old Spice Guy」がなんとP&Gの別ブランドの広告「It's Another Tide Ad」にも登場。こちらもハック文脈で彼のキャラクターにしっかりはまった演出で起用されている。古典的なCMから始まり、リアルタイムレスポンス、ハックと時代に応じて最初に構築したアート&コピーのインパクトをうまく踏襲・進化・拡張させている好例だろう。これらをぶっ飛んだ面白施策と片付けてしまえばそれまでだが、見ていただいたとおり、その背景には緻密な計算が積み重なっている。また以前に展開されたアイデアも、時代に合わせて磨き上げることで、再度大きな効果を上げてくれることを見れば、そこまで人間の感じ方というのは大きくズレるものでもないのだなあとも感じさせてくれる。時代を問わず、人々は相手の体温を感じるコミュニケーションにはどうしても心を動かされてしまうという本質をOld Spiceは教えてくれている。
先日発表された日本の2022年の総広告費によると同年は過去最高、2025年までの成長予測でも順調に推移するという素晴らしい予測が立てられている。Old Spiceのようにトラッドな手法を進化させるのも良いだろうし、「Go Back To Africa」にあるようにテクノロジーでコトバに新たなストーリーを吹き込むのも良いだろう。一方で世の中はアンコンシャスバイアス(意識ない偏見)にもあふれ、そしてそれは前時代的なものとして強く忌避される傾向にある。表現という技巧にこだわるあまり、そのバイアスによってがんじがらめになってしまうこともあろう。しかし、われわれは生きている限り、自分の中にある各種のバイアスを完全に無くすことは困難だ。ただ、自分が持つバイアスに気付くことから始まる第一歩はあるかもしれない。おいしいワインや、美しいアフリカの大自然、誇り高き芸術作品やばかばかしくも楽しい動画を味覚で、視覚で、あらゆる五感で共有することはできる。共通の項目をポジティブな体験として共有していくことがその偏見を乗り越える一つの道でもあり、そしてわれわれはコミュニケーションによってそのムーブメントをどんどん加速・拡張すべき立場にいるのだと思う。“Feel our vibes, then feel your bias.” 同じバイブスを感じることが、自らの中にあるバイアスに気付くきっかけであり、それを打破した先には魅力的な世界に出会えるはずだ。

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WWFの歴史から学ぶ
新規性の大切さ。