UNEXPECTED MEETING
デジタル化で激減した
「予期せぬ出会い」を取り戻す
ゼラニウムの学名「Pelargonium(ペラルゴニウム)」は、ギリシア語の「pelargo(コウノトリ)」を語源としており、花を付けた後の種子に突起があり、それがコウノトリのくちばしに似ていることに由来するという。中でも黄色いゼラニウムの花言葉は「予期せぬ出会い」であり、「コウノトリが赤ちゃんを運んでくる」という私たちがよく知る言い伝えにも、その偶然もたらされる出会い的要素が絡んでいるような気がしないでもない。またゼラニウムはその上品な見た目とは裏腹に、実は虫が嫌う香りを放つため、品種によっては虫よけ効果も期待されているとか。見た目と香りの意外な作用とのギャップも、これまた不思議な組み合わせということで、ある種の「意外性」を醸す存在と言えるのかもしれない。
「出会い」においてもよく私たちは、「偶然」と「必然」をえり分ける。望み、計画し、最終的に出会う必然と、特に意図的ではなく、たまたま出くわす偶然の出会い。そもそも偶然なんてものはなく、その他の要因がなんだかんだで複雑に絡み合い、必然としての結果となるという意見もチラホラ。ただそういう予期せぬ出会いというものに期待する自分を否定はできない。人は時に計算を超えた事象にトキメクものではないか。ビジネスでも使われる同様の言葉に「セレンディピティ」なる言葉があるのはご承知のとおりで、偶然が重なることで、そもそも自身が探していたモノとは異なる、別の価値あるものを発見するという現象のこと。意味合いから見ても良き方向へ導かれている経験談が多い。
ちなみに「セレンディピティ」という言葉は造語で、イギリスの政治家にして小説家であるホレス・ウォルポールが1754年に生み出したものとして知られている。彼が子供のときに読んだ「セレンディップの3人の王子 (The Three Princes of Serendip) 」という童話にちなんだもので、セレンディップ(セイロン島、現在のスリランカ)の王子たちが旅の途中、いつも意外な出来事と遭遇しつつ、しかし彼らの聡明さを掛け合わせることで、もともと探していなかった何か新しい知見を発見する冒険譚(たん)だ。概要を聞くだけでもワクワクする、そしてその後の幸せに満ちたストーリーが想像できて気持ちが温まる気がする。
偶然性への期待は、もしかすると昨今の固定化した生活様式への反発なのかもしれない。何が正しく、何が過ちなのかといった旧来の固定観念に対する疑問が生まれつつも、、あらゆる慣習がある種のクローズドな環境の中で手つかずで放置され、それが当たり前なこととして年月を経て来てしまっている。そしてさらに威力を増し、その悪しき慣習の打破へ向けた勢い、あるいは意志がそがれてしまっていることもあっただろう。しかしそのクローズドなコミュニティー環境にあっても、コロナ禍を経て、逆に各所での「ニューノーマル」への移行が著しくなっているのは「窮鼠(きゅうそ)猫をかむ」的なもので、切羽詰まった環境を背景にしたパラダイムチェンジなのだろうか。「親ガチャ」ではないが、生まれ落ちた環境で全てが決まってしまうといった妙な諦めがまん延する一方で、かつて就職先として憧れの企業であったエスタブリッシュメントを求めることなく、個々人がベンチャーやスタートアップ企業を興すなど、チャレンジすることにまるで躊躇しない、「なせば成る」的な前向き姿勢の若者が目立って増えてきているのも混沌(こんとん)とした時代のもう一つの象徴と言えるだろう。
不安定な未知の環境に向かってチャレンジする若者が増えてきたとはいえ、この人々を誘導する「レール」の存在はいまだ健在だ。かつてのドラマでは「他人の敷いたレールの上を歩くのか?」という、世の中の決まり事に反発するセリフをよく聞いたものだが、実は現代でも違う意味で敷かれたレールの上をグルグル回っている現象があるようにも感じる。それが「フィルターバブル」や「エコーチェンバー」というやつだ。これらは膨大なデータとアルゴリズムの上に意図的に生み出されており、生活者の視野を極めて狭くしている。YouTube視聴やオンラインショッピングなど、ネットサーフィンをやめられず、ダラダラと時間を費やしてしまうのも、そういった関心を途切れさせないためのある種の中毒症状を引き起こしているからこそで、これに自身で気付かないといわゆる無限ループにはまってしまうこととなる。
さらにこのソーシャルメディアを通じて泡に包まれたように自分が見たい情報だけしか見なくなる「フィルターバブル」や、繰り返し自分の価値観、関心と似通った情報ばかりに囲まれ考え方がどんどん偏っていく「エコーチェンバー」といった状況がデマやフェイクニュースを増長し、人々の意見や物の見方を分断させている。これらの背景には、「アテンションエコノミー(注目経済圏)」があり、多くの人が注目しクリックすることで収益を得る広告モデルがその引き金となっている。これはアテンションを稼げばそれでよしという考え方で、実際の情報が「正しい」かどうかよりも、情報が「楽しい」、あるいは「心地よい」かどうかを第一義に生活者にコンテンツを消費させる。それを追い求められていることが、このあしき環境を増長している。
そんなアルゴリズムの弊害や、自分の行動のワンパターン化に気付かせてくれる、「予期しない出会い」をもたらした事例を幾つか見ていきたい。まず一つ目は、「HetzJaeger. Antifascist Algorithms.」だ。
HetzJaeger. Antifascist Algorithms.
世界的に、特にドイツでは再びファシズムが台頭してきている。その最大の接点が音楽だという。実はSpotifyやYouTubeのようなストリーミング・プラットフォームでは、何千にも及ぶファシスト思想の曲が提供されており、さらに悪いことにアルゴリズムによってそれらの楽曲は広くリコメンドされ、またユーザーが同様の楽曲に触れる確率がとても高くなっているという。まさに先に述べた「フィルターバブル」の音楽版であり、さらに「エコーチェンバー」が起きているわけだ。しかし、音楽を楽しむ行為自体は、あえてそれを否定するきっかけはなかなかないだろう。そのため、このような環境に人々が陥っていることに気付く人も多くなく、そのままの状態で放置されているのだ。そしてストリーミング・プラットフォーム側もそのような状況がまん延しているのを知りながら、これらの曲やバンドの提供を止めることはなく、ファシズムの拡散を防ぐ効果的措置はなにもとられていなかった。
そんなサービス提供側のプラットフォームの意識変革を起こすべく、行動を起こしたのが、あらゆる形態のファシズムと戦う組織「Laut gegen Nazis」だ。
「Laut gegen Nazis」のやり方は、巧妙だ。その対抗措置は、悪循環を生み出しているアルゴリズムを逆手に取ること。楽曲リコメンドのアルゴリズムの仕組みを解析し、多くの支持を得た後に、それを欺いたのだ。
いわば「トロイの木馬」作戦。まずは架空のバンド、「HetzJaeger(ヘッツイェーガー)」というナチス思想に浸ったように見える存在を創りだし、デビュー感をあおりつつ、そのティーザーソングをアルゴリズムのパラメータにアジャストする作戦を実行。するとたちまち、これまでファシスト思想の曲に傾倒していたユーザーとの接点ができ、あっという間に人々の絶大な支持を獲得した。
しかし、このバンドはダミーだ。デビュー予告の1カ月後となる1月30日、ヒトラーが政権を掌握した記念日に、アルゴリズムはドイツのあらゆるファシストシーンに向けて、このバンドの「真の目的を秘めた」楽曲、すなわち「反ファシズムを訴える楽曲」を自動的に披露していく。曲の内容はファシズムへの世論の反発を伝え、さらにストリーミング・プラットフォームへの規制強化を要求する歌詞になっており、社会に大きな反響を生み出した。世論の大きなうねりにさらされたストリーミング・プラットフォーム側は、これまで扱ってきたファシスト思想の楽曲やそれを演奏する700に及ぶバンドを、やむなく対象楽曲から削除せざるを得なくなった。
もちろん、この背景は入念に準備されている。そもそもこのようなサービス業者が独自に設定したアルゴリズムは当然のことながら秘密にされているため、その解析も困難だ。そこで「Chartmetric」などの音楽ストリーミングデータ分析ツールを使い、最も人気のあるファシスト・ロックソングやそのファンベース、最も影響力ある楽曲のプレイリストなどを特定するという地道な取り組みを重ねていった。さらにストリーミングサービスを配信するレコード会社の専門家や、ドイツのファシスト活動の状況に詳しい専門家をチームに組み入れ、YouTubeとTelegramをスクリーニングすることで、トロイの木馬バンドで用意する楽曲をリコメンドに最適化する方法を把握した。そのデータを基に、実際に流布させる作品を反ファシズムのミュージシャンたちが創り上げたのだから、アルゴリズムの攻略において間違いはなかった。仕上がった反ファシスト・ロックソングの歌詞は、そのシーンで最も頻繁に使われる流行語、言い回し、構文を使用し、Spotify、SoundCloud、Deezer、Amazon、Apple、YouTubeの各プラットフォームで配信された。
並行してソーシャルメディアの専門家がTelegram、Instagramのファシストの主要グループに潜入、この楽曲を評価し、多くの「いいね!」を獲得していったという。まさに各領域の専門家を巻き込み、適切な役割分担で壁を突破する見事な作戦だったと言えよう。このような「一発必中」の作戦には、入念な準備と幾重もの保険対策が必要なはずで、まさに万全な準備の賜物と言える。最終的にこのトピックの認知度は500%上昇、20万人の規制への支持者が集まりプラットフォーム上の規制強化に関する請願書もたちまち完成し、先の成果が得られたわけだ。
アルゴリズムを攻略して反転攻勢の武器とするというアイデアは思いつくけれど、それを可能とする下準備やテクノロジーのスキル・ノウハウを駆使した作業はどれほど大変か。また完全に可能とは言い切れない中でそれを諦めず、推進していく努力と気概については脱帽するしかない。一方で既存のファシストグループがいわばよりどころとしていた楽曲、またそれを提供しているバンドなど、彼らの思想のリーダー的存在を鮮やかにすげ替えたスキームに胸がすく感覚を持った。
力強いメッセージで人々を引っ張るインフルエンサーは各所に存在し、それは恐らく小さな善悪の振れ幅を忘れさせてしまうに十分なカリスマになり得る。その影響度を理解し、人々を誘導する「声」を他に創り上げ、正しい道に導くというスキーム、政治の世界でも見られそうなニューリーダーの誕生といったストーリー性が秀逸だ。既存勢力の対抗馬となる魅力的なインフルエンサーを仮想で創り上げ、ターゲットグループにおいてその信仰心を最大限にしてファンを奪い取り、その後、思想を180度転換させるメッセージングがなされるわけだ。これまでは常に同様の意見で集まり、盛り上がっていたファシスト傾倒者たちにとっては、まさに寝耳に水、冷や水を浴びせられたような驚きであったに違いない。「予期しない出会い」で、その考え方を大きく変えさせる、まさに一撃必殺の象徴的事例として見事の一言である。
フィルターバブルは、ネット上の情報収集における現象のみではない。実はリアルに行動している中でも同様の環境にいることがある。思い起こしてみれば、これまで過ごしてきた生活習慣の中でも意外に刷り込まれていることは多い。鳥類にはふ化して最初に認識した動物を親と思い込み愛着行動を取る「刷り込み(インプリンティング)」と呼ばれる習性があるが、まさにそれを彷彿させるようなことが人間界でも起こり得るわけだ。確かに子供は親と行動を共にし、その指導によって自らの行動を抑制するようになる。物事の善しあしの判断も家族や友人など、周辺の考え方を学びながら集団における暗黙知でルール化されることは多々ある。半面、他の集団で構築された暗黙知との齟齬(そご)はあり得るわけで、そのギャップが大きいといさかいに発展する。異なるルールを持つ社会に属するそれぞれが、自らの正当性を主張するようなものだ。どちらも正当性があるかのように見え、その合意点を見いだすのは指南の技だ。
しかし、鳥類の刷り込みにもルールはあり、また例外も生まれるという。例えば人間を最初に見たひなはその人間を親と認識こそすれ、親を追いかける追尾行動を引き出すには人間がしゃがみ込んで歩く必要があるという。そのままでは対象の背が高過ぎて、親という認識から外れてしまうらしい。また別の親代わりを提示することでそれに追随する行動も見せるなど、刷り込みもタイミングを計れば意外と覚え直しも効くらしい。一度覚えて、さらにはそのルール下で長く生きてくれば、自ずとその習慣は当たり前のものとして続く。こうしたある種の刺激で、その思い込みも案外転換させることができそうだと示してくれたのが、「Hack Marcket」キャンペーンだ。
Hack Market
Back Marketは、グローバルなリファービッシュ品(整備済製品)専門マーケットプレイスで、時価57億ドルの資産価値を持ち、2022年には「Fast Company」が発表するランキングで「世界で最も革新的な企業」の第18位に選ばれている。Back Marketが提供する、いわゆる「リファービッシュ品」は、「初期不良」によって返品されたり、出荷時に不具合が見つかったものを製造元等が改修し問題なく使用できるようにしたもので、通常販売価格よりも若干安く購入できる点で人気だ。これらの商品は、eBayのような個人同士の中古品マーケットプレイスよりも質的にも信頼性がおけるため、ハイテク製品をより安く購入したいと考えている消費者に自然な形で受け入れられているのだ。
しかし、Back Marketが目指したのは中古品市場でライバルに打ち勝つことではなく、より持続可能な消費行動を当たり前にするということ。すなわち、この「整備済み商品」を購入することが、購入者に「ある種の我慢」を強いるダウングレードなこと、あるいはなにかのマイナスを受け入れるトレードオフであるという認識を覆したいと考えていた。なぜなら、彼らが扱う整備済みスマートフォンは新品よりも安いだけでなく、そのカーボンフットプリントは92%も低く抑えられるからだ。それらを選択することが「よりスマートな選択であること」を証明することで、誰もがその選択に自信を持てるようにすることがこのキャンペーンの目的だった。
Back Marketはこの事実をしっかり伝えるため、ターゲットとなる購入検討者の購買行動をハックし、まさに新しい携帯電話の購入をしようとするタイミングで、その意識転換を図るチャレンジを試みた。なんとその場所は“ニュー・テクノロジーの殿堂”であるApple Store。まさに敵地に乗り込み、大胆不敵に行動しているのが痛快だ。
世界が環境問題に関心を向ける4月22日「アースデイ」のタイミングで、Back MarketはAppleが持つモバイルテクノロジー、AirDropと新品のiPhoneを使い、より環境に優しい選択肢を訴えるメッセージを発信するキャンペーン「Hack Market」を開始。来店客がApple Storeで端末を手に取るたびに、設定したボットがAirDropを通じて手元の端末にビデオ広告を流し、Apple StoreではなくBack Marketが提供する、環境に優しい代替品を選ぶようアピールするのだ。繰り返すが、その場所は相手の軒先ではない。母屋中央に乗り込み、売り場のデモ機を自社の広告メディアに変換し、まさにストア全体をハックする大胆な作戦。そして、そのメッセージは「同じ機種を購入しても、二酸化炭素排出量を92%削減できることを販売者は教えてくれません。しかし私たちはそれを伝えました。Go refurbished(整備済み商品をどうぞ!)」と語りかける。ちなみにこの環境負荷に関する数値は、フランスの環境保護団体ADEMEが実施した調査を参考に、整備済み製品購入と新品購入の環境負荷に関するデータを2年がかりで収集し導き出している。とかくインパクトを狙ったメッセージは「盛り過ぎ」になりがちだが、しっかりとしたファクトを導き出し、それをよりどころとするところに誠実さが感じられ、また信頼を持てる。世の中に出回っている、真偽は分からないがそれらしいデータを引用するのではなく、しっかりと自分たちで調べ上げ、そこに付け入る隙を見せないスタンスがさすがだ。
結果、4月22日に実施された1日限りのこのキャンペーンにより、パリ、ベルリン、ロンドンの6つのApple Storeの約5200人の来店客に対しリーチすることに成功。各国のメディアでこの奇想天外な作戦が報道されるとともに、ソーシャルメディアでも1億以上のインプレッションを記録している。
「Hack Market」キャンペーンは、ブランド名の露出だけでなく、「リファービッシュ品カテゴリー」の価値を向上させ、3カ国でのキャンペーン後、整備済み製品の購入意向は平均27%増加、アースデイ 2022では、“refurbished(整備済み)”がトピックとして浮上したという。学びとしたいのは、新たなスマートフォンを買いに出かけたApple Storeで、別の販売店からまさしく「天の声」が届くというサプライズ感であり、それは関心を引き起こし、記憶に残すのに大いなる効果をもたらしたであろうこと。これまた、この章のテーマでもある「予期しない出会い」が、意識転換に大きく寄与した事例と言えるだろう。
ここで、「HetzJaeger. Antifascist Algorithms.」や「Back Market」などハック系キャンペーンのルーツとなった事例も紹介しておこう。それが2017年のバーガーキングの「Google Home of The Whopper」だ。
Google Home of The Whopper
このキャンペーンは当時、一般家庭に普及しはじめたGoogle Homeをはじめとする音声起動デバイスをトリガーにしたものだ。これらのデバイスを持っている人の大部分は、それをテレビのあるリビングルームに設置しているのではなかろうか。バーガーキングはそこに着目し、15秒のテレビCMのラストで「OK Google、What is The Whopper burger?」という質問を投げかけ、意図的にGoogle Homeを呼び出す作戦に出たのだ。これに反応したGoogle Homeは、ワッパーバーガーの解説を15秒CMのすぐ後に勝手に始めることとなる。すなわち両者で30秒のCMに仕立て上げられてしまうのだ。まさにメジャーテクノロジーのハックであり、全米のGoogle Homeを保有者の意図を無視して起動させるという、とんでもないキャンペーンなのである。
呼び出されたGoogle Homeが読み上げたのはWikipediaのワッパーの解説文ではあるが、これもCM放映前に文章を大幅に書き換えていたようだ。もちろんGoogle側は事前に相談もされていなかったため大激怒し、即座にこのフレーズにデバイスが反応しないように変更したので、テレビCMは開始3時間でBAN(強制終了)されることとなった。一方のGoogle Home保有者もまた、この仕打ちに激怒した。そこで彼らはバーガーキングが編集したWikipediaページの内容をさらに改訂。そこにバーガーキングをディスるネガティブワードを数多く差し込み、その文章がBANされるまでの間にGoogle Homeで読み上げられるという手痛いしっぺ返しを食らうこととなったという。
“炎上上等”のスタンスで常に臨むバーガーキングらしいアイデアではあるが、これが許されるのは比較広告が当たり前、訴訟問題にも怯まない同ブランドならではのスタンスもあるだろうし、なかなか真似の出来ない施策ではある。この炎上騒ぎをトリガーに、この取り組みは全世界で93億インプレッションを獲得、YouTube、Facebook、Twitter、Google Trendsでトレンドトピックとなった。さらには、テレビCM公開から48時間以内にオンライン上で1000万回再生されるなど過去のテレビCMの中では最も話題となっている。また、ポジ・ネガ入り乱れてではあるが、バーガーキングに関する言及が5倍に増加したほか、Google Homeなどの音声起動技術を製品広告にはじめて活用したことで、広告と新しい技術をめぐる議論が生まれるなど、単なる炎上広告とは一線を画すものになっている。
さて、これまで紹介してきた事例はデジタルやテクノロジーを活用し、サプライズ的に新たな出会いを創出してきたものだが、リアルな場のハックは実は以前から行われてきていたことをご存じだろうか。かつて流行した、結婚式や街中でいきなり人が集団で踊り出すフラッシュモブなど、「スタント」と言われるカテゴリーなどがそれである。先にも触れたが、人は偶発性への期待を抱いている。ちょうどこれらのカテゴリーが生まれたのは、Amazonなどのリコメンドエンジンの精度が飛躍的に高まり、セレンディピティがバズワード化していた時期でもある。少し古い事例だが、思い起こせば「あった、あった」と思う、街中で仕掛けられたフラッシュモブやスタントの事例を見てみよう。イギリスのT-Mobileが2009年に実施した「dance」、そしてアメリカのテレビチャンネルTNTがベルギーで放送開始するタイミングで仕掛けた、“ドラマのある生活”を提案する2012年の「Push to Add Drama」キャンペーンだ。
dance
ある日の朝、人であふれるロンドンはリバプール・ストリート駅の構内で一人の通勤客がいきなりダンスを始める。そのダンスに導かれるように、踊る人々は増え続け、最終的には300人ほどが完璧な振り付けでそのダンスを完了する。その盛り上がりに人々は目を見張り、また身体を揺らすなどして、その瞬間を楽しみ、偶然出くわした感動的な出来事を思わず電話やメールで知り合いにシェアした。そう、これは「Life’s for sharing(人生は分かち合うこと)」をタグラインとした通信キャリアT-Mobileが仕掛けたスタント(瞬間的なイベント)だ。現在のスマートフォンほどの撮影機能はないものの、このサプライズイベントが実施された2009年は世界で携帯電話回線の契約数は46億にも及び、iPhone 3Gsの発売もあり、スマホの普及率が急速に伸長し始めるタイミングでもある。まさにソーシャルメディアの台頭を見越したように、「人にシェアしたくなる」コンテンツを先んじて提示し、その共有文化を創り出したのはこのT-Mobileかもしれない。
この衝撃的であり、しかしエンターテインメントにあふれた映像は、YouTubeで1300万回という驚異的な視聴回数を記録。T-MobileのYouTubeチャンネルは、イギリスで過去2番目に登録数の多いチャンネルとなる。ビジネス的にもT-Mobileの全国店舗では、過去最高の来客数を記録し、当時イギリス第3位のキャリアであるにもかかわらず、これを機に「T-Mobileがナンバーワン・プロバイダである」とイメージする人の数は3倍にまで急増、ブランドリフトにも一役買っている。さらにはその売り上げも、前年同期比52%アップしたという。
そもそもこのイベントの狙いは、彼らのスローガンである「Life's for Sharing」を人々に理解してもらうことだが、企業側から一方的にメッセージを伝えられても関心も湧かないし、分かりづらいし、さらに言えば回りくどい。しかし彼らはその伝え方を工夫し、「ほら、今あなたはこの瞬間の出来事を大切な人と分かち合いたくなったでしょ?」という体験を通じて、「なるほど、そーゆーことね!」という共感を得たわけだ。一瞬の出来事だが、そのとき抱いた気持ちを「誰かと共有したい」と思わせ、行動させ、またその気持ちに気付かせるというところまで誘う。この仕掛けは、まさに現代のコミュニケーションでも基盤となる共感づくりをしっかり担保し、さらにはナラティブまで構築している。
そう、ナラティブ(物語)というキーワードも昨今の出現率は高いが、以前から当たり前に使われていた概念であり、手法でもあり、この頃からしっかりと効果を出しているのだ。パッと見はオモシロ施策に見えるこの取り組みも、実にコミュニケーションの王道をたどっている。スマホ普及といった社会的なタイミング、共感で紡ぐコミュニケーショントレンド、パワーコンテンツの自走力などを巧妙に組み合わせており、いま見ても学びが多い。さらに言えば、オンライン至上主義の現代においては、あらゆる情報が無造作に存在し、そのシェアにおいてもおざなりのものが多い。しかし、このT-Mobile事例で感じるのは、共有とは自身が何に感動し、それを誰に伝えたいか、それが最も重要であるということ。そのリアルな人と人のつながりが、さらには真のコミュニティーとして形成され、力となっていく。それはデジタル上の無機質なものとは全く異なるものではないのか、そんなことをいま一度考えさせてくれる事例だ。
Push Add to Drama
もう一つの事例は、アメリカのテレビチャンネルTNTのもの。そのブランドプロミスは「TV worth talking about(話題にするに値するテレビ)」。新鮮なドラマシリーズ、評価の高い映画、そして洞察に満ちた実話を配信する高品質のエンターテインメント・チャンネルとして名高いTNTが、ベルギーのフランダース地方での放送開始に当たり、話題化を目指して仕掛けたのが「Push to Add Drama」だ。TNTのキャッチフレーズ「We know drama.(私たちはドラマを知っている)」をベースに、そのドラマチックな登場感をいかに創出するか、そしてTNTが自身のストーリーを語るのではなく、ユーザーが語りたくなるようなストーリーを提供できるかを基軸に、この体験機会が設計された。
そのとき用意されたのが、大きな赤いプッシュボタン。極めて平凡な町の広場に設置されたボタンのそばには「Push to Add Drama(ドラマを加えるために押してください)」の文字が。そして興味を持った人々が恐る恐るこのボタンを押すと、ドラマチックでクレイジーな出来事が、その面前でものすごいスピードで展開される。並べてみると、ボタンが押された途端にいきなり救急車が広場に到着、建物から病人を運ぼうとするが救急車から担架が滑り落ちる。担架を拾おうと急停止したその救急車に今度は自転車が激突し、自転車乗りと救急隊員がケンカを始める。一方、まるで関係なさそうな下着姿の女性が意味ありげにバイクで辺りをグルグル。そこへ今度はギャングと警察のクルマがなだれ込み銃撃戦を開始、撃たれたギャング一人を残し、救急車を含めたクルマは一斉に走り去る。撃たれたギャングを建物から出てきたフットボール選手数人が担ぎ上げ、建物の中に運び込むというハチャメチャな展開だ。しかしまるで自身がそのエキサイティングなドラマの登場人物の一人になったように、その臨場感に引き込まれていく。驚きもつかの間、ドラマは急速に収束に向かい、そのエンディングとして「Your Daily Dose of Drama(あなたの一日分のドラマ)」のタグラインが入った巨大な垂れ幕が登場。いわゆるドッキリ番組の仕立てなのだが、そのスケールがリアルタイムで映画を撮影しているようなクオリティーなのだ。
そして、その様子が映画さながらに撮影され、動画としてYouTubeに公開されると即座に1000万回再生、10万のいいね!、Facebookで100万シェアを獲得する。この動画はリアリティー番組のティザーのように楽しむことができ、TNTの番組の品質の高さに触れられるものとなっている。不意に出会ったエキサイティングな出来事は心を揺り動かし、思わずシェアしたくなる衝動を誘う。この疑似体験だけでも、一度はこのチャンネルをのぞいてみたくなるはずだ。
二つの事例に共通するのはタグラインにリンクした当時の新しいテクノロジーの採用、そして「ナラティブ」を通じてのブランド構築である。移動体通信キャリアであるT-Mobileの「Life’s for sharing」、テレビチャンネルTNTの「Your Daily Dose of Drama」はどちらもソーシャルメディアが台頭してきたからこそ生まれたタグラインでもあるだろう。自分たちの理想のイメージを押しつけるのではなく、自分たちはどういう存在でありたいかを体験を通じて提示し、それを通じて個々人が感じたことをさらに人に語ってもらうというナラティブな現象を設計、それぞれライブで創り出している。このライブ感がある物語(ナラティブ)がその威力をもってソーシャルメディア黎明期に語られ、同様の価値観を持つ人々が集うコミュニティーの中で共有され、さらには知らず知らず新たな出会いのきっかけとなっていったのではなかろうか。
この章で取り上げた現在のエコーチャンバーやフィルターバブルは、ネット上での情報収集の仕組みを基盤に引き起こされている部分もあるが、「この領域のニュースしか見たくない」といった受け取り手側のクローズドな意志の影響も少なからずあるのだ。耳障りな情報はできれば避けたいという気持ちは誰しもあろうが、それが情報遮断を招いている原因なのかもしれない。いくら言っても聞く耳を持ってもらえない、という経験をしたことがある人も多いだろうが、耳を貸してもらうには働きかける側がその人を振り向かせるだけのきっかけや新しい仕掛けをしっかりと用意する必要があるということも忘れてはいけないだろう。
さて、ここでリアルな場を使った最新の事例も紹介しよう。リアルな場をハックしつつ、社会課題解決へと繋げたフランスのマタニティウェア・ブランド、フリーダの「The Uncover」だ。
The Uncover
フリーダは便利な授乳服を作り、新米ママの生活をより快適にすることに尽力している。しかし、さらに認知度を上げ、新米ママに寄り添う存在であることをしっかり伝えたいと思い、展開したのが「The Uncover」だ。日本は各所に授乳室が完備されているが、フランスでは公共の場での授乳はタブー視されており、50%近くの女性がトイレのような不適切な場所でこっそり授乳することを余儀なくされている。さらに2022年の調査では、17%の母親が公共の場での授乳を理由に嫌がらせを受けたという。ボルドーでは公衆の面前で授乳した女性が顔を殴られたり、オーストラリア人観光客がディズニーランド・パリから退場させられたり、ルーブル美術館で授乳中の母親と赤ちゃんが警備員に退場させられるなど、社会的なニュースにもなっていた。
フリーダは公共の場における授乳への理解を促進するため、公共の場でよく見かける雑誌を読む人に着目。この雑誌というメディアをハックすることとした。その雑誌を読む姿勢を取ると、あたかも授乳中の人に見えるだまし絵を表紙に採用した雑誌「The Uncover」を制作。フェミニスト団体と協力し、フランスの主要都市の街頭、駅、喫茶店、新聞売店などで5万部以上を配布し、同様の活動を誰もが実行できるようにした。
雑誌の内容は6人の異なる母親がそれぞれトップページに起用され、中面では母親や医療専門家の証言、Uncover-project.comへのQRコードが掲載された。ウェブサイトにアクセスすると、体験談を通じて公共の場での母乳育児を法律で保護するための請願書へのリンクが提供されている。この雑誌は政治家、団体、ブランド、病院、有名人、インフルエンサー、一般の人々に送られ、ハッシュタグ#theuncoverによってソーシャルメディア上でも拡散された。また世界母乳育児週間のイベントでも展示されるなど、とても地道にだが浸透していった。
これまでの事例に比べると、数字的には2億のオーガニック・メディア・インプレッション、サイトへの1万件のアクセス、フランスの主要な国営テレビ局3チャンネルでの報道を含む、50のメディア掲載と決して大きくはない。しかしこのキャンペーンによって、何百もの公共の場が母乳育児フレンドリーであることを表示。さらに公共の場での母乳育児の保護、母乳育児を妨害した人を有罪にできる法律案が議会に正式に提出され、現在投票待ちとなっており、リアルな場での確実な成果に繋がっている。もちろんフリーダの売上も30%増加するなどブランディングおよびセールス両方に貢献している好事例である。
LIBERATION WRAPPER
実は日本でも、このフリーダの取り組みと似たような事例があるので紹介しておこう。
2013年のフレッシュネスバーガー「LIBERATION WRAPPER」である。おしとやかな日本人女性は、人前で大きな口をあけたがらないので口型のラップを作ってハンバーガーを販売、セールスに貢献したというもの。一見するとただの面白広告とも見えるが、課題の設定の仕方やビジュアライズのアプローチは先ほどの「The Uncover」と同様のスキームであることがわかる。
人々は、想定内に物事が収まることに安心しがちである。そして、その環境に身を置くといつしか冒険ができなくなる。新たなことへ踏み出す勇気がなくなる。そこまでいかなくとも、おっくうになるくらいのことかもしれない。しかし、これまで偶然に思えた出会いも、自身の受け止め方を変えることによって、なにかしら新たな価値を自分に提示してくれるきっかけとなるかもしれないのだ。意外に人はそんなチャンスを潜在意識の中では待っているのかもしれない。世の中は情報先行で、まず体験から学ぶという機会は減っているようにも思う。既定路線で物事が片付くことも悪くはないが、そこにイノベーションは起こらない。コロナ禍という大きな環境の変化が人々の生活と意識、そして価値観を大きく変えたように、私たちが未来を切り開いていくには偶然性にその身を委ねるというスタンスも必要なのかもしれない。またそのくらいのおおらかさを持ち合わせてこそ、このメンタルヘルスに厳しい環境を乗り越えられるのかもしれない。もちろん、私たちコミュニケーション業界やメディア業界の人間も、そういう変化につながるような機会提供をせねばならないし、反面、特にデジタル上においてはユーザーに偏りのない情報を提供していくこと環境を私たちが自助努力を含めて取り組まねばならない。そしてそれこそがコロナ以降、世界で進んでいる分断を防ぐ一つの手段になり得るのではないかと強く思うのだ。
HONESTY
HONESTY
HONESTY
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偽りやごまかしが蔓延する
世の中で光る「正直」さ